女性コーディネターとつくる想いを叶えるスタイルリフォーム。
21日完工システムでこだわりの繁盛店を作る店舗デザイン施工。
の3つを誠心誠意の完全自社施工でご提供しております、
神戸の西のはしっこで農耕型?建築工事会社を営んでいるオヤジの日記です。
10月10日体育の日。
昭和時代に培われたDNAが今日だけは走れ!と騒ぎ出します。
という訳でもないのですが、昨日はすみれママ☆と一緒にウオーキングという事で少し消化不良な感じだったので風邪の完治を確かめるためにも朝は10Kmランニングに出掛けました。
冬になる前のこの時期の海岸が一番気持ちがいいですねー、当分ランニングコースは南向きになりそうです。(笑)
ただ、坂道を走ると6キロ~8キロくらいの地点でいつも膝が痛くなります。
あまり無理して走ってはいけないですよ、と、フカセマスターに忠告されていたので今日は結構歩いて帰ってきてしまいました。
どなたか解決策をご教示頂けないでしょうか?
このままでは来年の本番が思いやられます。
やっぱ、フルマラソン出場へのハードルははなかなか厳しいなー、
などと思いつつ少し遅い目に事務所に出社してみると、(先日トライアスロンを完走された)アラフォー経営者の羨望の的になってしまっている滋賀のNN村社長から何やら封筒が送られてきてました。
あけてみると、
がーん、フルマラソンが、、などとけち臭いことを大きく通り越して鉄人レースへの誘いでした。
スイムが苦手、と言った私に解決の秘訣を早速送って頂きました!
NN村社長!ありがとうございます!まずは膝の問題を棚上げしてクロールの練習から始めたいと思います。
何しろ、人生は出来ることに集中することが大事ですのでね。(笑)
そんなこんなで出社は少し遅くなりましたがそのまま夕方まで現場調査と打ち合わせのラッシュ、忙しい3連休を忙しいまま締めくくることが出来ました。
そのすべてが、リピーターのお客様とその関係のご紹介の方ばかり、本当にご縁に感謝致します。
さて、お題目は秋のニュースレターに掲載する私のコラム欄の原稿の題名でして、すみれとお付き合い頂いている方には郵送でもお送りいたしますが、先行してここでも紹介をしておきたいと思います。
***********以下転載です。***********
自立という(しごく簡単な)座右の銘
中学生になった頃、夜中に酔っ払って帰ってきた親父につかまって云われた言葉があります。
子供の頃に刷り込まれた言葉というのは憶えて無いようで実はなかなか忘れ得ないようでして今でも事あるごとに思い出したりします。
「剛志、お前ももう中学生や、世が世ならそろそろ元服して正式に大人の仲間入りをいる歳でもあるんやで、そんな大人になろうとしているお前に一つ言葉を贈りたい、心して聴け、分かったな、」
と、いい調子で話し始めた親父に対して、私はというと少し冷めながら聞いていたような覚えがあります。
『自立』
紙とペンを貸してみろ、といって親父がおもむろにノートに書いたのはたった2文字のその言葉のみ。
少し拍子抜けをしましたし、もっと座右の銘的な難しく長い言葉を予想していた私はきょとんとしていたのだと思います。
親父は続けました。
「自立や、分かるか?自立というのは寄りかからずに独りで立てることや、しかしな、それは社会とのかかわりがあってこそのことや、社会の中にあればこその一人で立つ意味があるってことや、分かったらこれ以上何も言うことはない。」
と、あっけなく言い放って部屋を出て行きました。
中学生にもなっていれば自立という単語の意味ぐらい分かります。
しかし、人生においてたったひとつ云っておきたいといって贈られた言葉がこの簡単な単語だということの真の意味までは分からなかったのが正直なところでしたので、あまり深く受け止めることも無くその座右の銘はすぐに記憶の中に埋もれていきました。
さて、私は40歳を過ぎてから茶の湯のお稽古に行くようになりました。
まだまだ茶の湯を嗜むというには程遠いですが、曲がりなりにも継続してお稽古に通い続けることは大変大きな学びになっています。
そこで先生に学ばせて頂いているのは長年の伝統によって形づくられた作法を極めることによって、いつ何時に客人に来られても最高のもてなしを出来るようにする技術と心です。
よく茶の湯の心を一期一会という言葉で紹介をされますが、その言葉は一瞬の出会いを大切にするという意味と合わせて、一瞬の出会いを絶対に逃さないように日々たゆまぬ精進を続けて、常に準備を整えながら日々を暮らすという意味を内包しています。
ここでの本当の意味は実は一瞬を大切にするということは日々の毎日を大切にするということと同じ意味を成す。ということになります。
例えば、毎月季節によって変わる茶花をいつも床の間に生けておこうとすると花屋さんに毎日通って花を買うのでは到底おぼつきません。そもそも和花は街の花屋さんにはあまりおいていないのが現実です。
では、どうするか?
答えは簡単です、自ら畑を耕して茶花を栽培すればよいのです。
野に咲く花のように、と例えられる床の間に飾られた花入れに差された一輪の椿のつぼみは一切の主張を自ら行うことはありません。
しかし、何気なく差してあるような花をいつも用意するには年間通して花畑の手入れをしなければそんな状態を作ることは出来ません。
一期一会に本気で取り組むというのは修行を通り越して生き方の域まで踏み込んでしまうということなのです。
現代風の言い方でいうとミクロと、マクロを同じ価値観ですべて包み込んでしまうというのがこの日本の伝統文化の基本的なあり方だったということなのです。
話は戻って私が親父に贈られた「自立」という言葉。
実はこの言葉も同じような意味を持っていたのかと、あれから30年近くが過ぎた今、やっと理解が出来てきました。
何にも寄りかからずに自分の足でしっかりと立つ。
という状態はそれを認識してくれる社会という枠組みのなかにあってこそで、無人島で自給自足の生活を送る状態は別に自立しているとは云いませんし云う必要もありません。
自立した人生を送ることが人生において重要なことだという教えを守るならば、より深く、より広く、より積極的に様々な社会への関わりを深めてその中での自分の役割を探し、見つけてその責任を全うすることが自立した人生への唯一のアプローチだということがやっと分かってきた気がします。
即ち、いつもお世話になっているお客様との関係性、絆をしっかりと繋いでいくことこそが『自立』という言葉の本質ということになるのです。
親父は今年で71歳になります。30年程前に私に自立という言葉を贈ってくれたのは丁度40過ぎということで今の私の歳とほぼ同じということになります。
やはり同じ様なことを考えていたということなのかしら、と、少し不思議な気持ちになりましたが、折角もらったその言葉、座右の銘として胸の奥に刻んで生きたいと思います。
****以上転載、長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。(笑)****
長々と書きましたが、、結局いつもの理念の同じ原則論に帰着しました。
めでたしめでたし。(笑)
毎日更新継続できているのは皆さんの応援のおかげです!
お時間が有り余っている方だけで結構ですので清き1票をお願いします!
↓ ↓ ↓ ↓
今日のECO=交換の 依頼を修理の 提案に
一貫して使えるものは使いましょう、という姿勢を貫いてます。