美しきものはそれ故に儚きもの。

怒涛の出張の月間が続きます。

その合間、久し振りに神戸で迎えた朝はとても穏やかで昼も夜もなく疾走する昨今の日常を忘れさせてくれるようなそれでした。

そんな穏やかな空気の中、午前中は飲食事業部のスタッフの身内の方の告別式にアルバイトスタッフなどを沢山引き連れて参列させて頂きました。

人は皆、誰一人の例外なく死を受け容れる日がやって来ます。

それを迎えるにあたっては早いか遅いかという問題ではきっとなく、その時までに成せたか、成せなかったか、と言う価値観で各々がどの様に感じるかだと思います。

ただ、送る側の理屈はというと、感謝の気持ちはあるにしてもいつも残念で、悲しくて、もったいなくて、やるせなくて、申し訳ないものでありまして、少なくても何かしら自責の念に駆られる事から逃れられません。

私も娘を持つ親としてその深い悲しみを思い、何処にもやり場の無い怒りにも似たやるせなさの引き受け先になれればと考えます。

縁を持ち、人様の人生の一端に深く関わる職に就いている以上、あらゆる選択に覚悟を持たねばなら無いことを今更ながら心に刻み込みました。

ただ今は心安らかにゆっくりとお眠りになられることを心から祈ります。

合掌。

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