JUGEMテーマ:日記・一般
今更、という感もありますが、つい最近、ケータイをiPhone5に変えてサクサク早くなったのにとても喜んでいます。
しかし、好事魔多しと昔の人はよく言ったもので、(私の場合)そんな子供みたいに喜んでいる時に限って何かしらアクシデントが起こったりするものなのです。
そんな訳で?未だ機種交換をして1週間ほどしか経っていないのにいきなり電車の中に置き忘れてしまいました。
駅のホームでポケットに入れた手が遊び、あっ!と気付いて引き返すも、電車のドアは無情にもしまって、窓ガラスの向こうに見えているiPhoneと共に走り去ってしまいました。(涙)
情けない想いを引きずりつつ、慌てて改札に行き敦賀行きの電車だったので探して欲しいとすがるようにお願いするも
「見当たりませんね、」
と駅員さんは一言でおしまい。
そう言えば初めてiPhoneを手にした時も1週間もしないうちに無くしてしまっておかわりをした覚えが、、
こっぴどくすみれママ☆に怒られた恐怖の記憶が甦って来ました。
失意の中、次の打ち合わせのアポイントもあるという事で、しょうがなく乗り換えの電車に乗り込みましたが、
毎日nomadoの様な(というより、殆ど遊牧民ですが、)暮らしをしている私にとって、ケータイを失ってしまっていては全く仕事になりません。
1日たりとも無理や、、
と、起こってしまったことはしょうがないとして、これをリカバリーする最善の方法は一体何かを必死で考えました。
(すぐに)ありました。(笑)
そう言えばiPhoneは無くした時に探せるように、それ専用のアプリってものがあるのでした。
早速やってみよ、という事で電車の中でPCを開き、アプリをダウンロード、起動してみるとあっという間にiPhone君の居場所が地図に表示されました。
しかも、JR山科駅に止まったまま。
電車を降りてすぐさま駅員さんに確認してもらいました。
私、「スミマセン、電車の中に忘れたケータイを山科駅で預かって頂いてるようなんですが、確認してもらえませんか?」
駅員さん、「山科駅ですか、では聞いてみます」
駅員さん、「あの、どうして山科駅にあるとわかったのですか?」
私、「パソコンで追跡が出来るようになっているんです。」
駅員さん、「???・・・、」
「あの、ケータイの特徴を言ってもらえますか?」
私、「ケータイの画面に、この電話機は紛失しました、こちらに電話して下さい。とメッセージが出ているはずですが、」
駅員さん、「あ、ほんまや、」
と、そんなこんなで無事にiPhone君は私の手元に戻って来たわけですが、紛失してすぐに手元のPCで検索するだけで、所在地の詳細な地図が出て、その建物を航空写真で確かめて駅のどの辺りにあるのかまで分かってしまうことに、便利やなー、と感心する反面、なにか怖いものを感じました。
震災から2年目を迎える少し前ににNHKでビックデーターの活用によって自然災害からの被害を免れるような研究を進めているという番組がありました。
GoogleやTwitterが情報提供をして震災当日の人の動きの膨大なデーターを解析することで、先の震災で甚大な被害が広がってしまった原因を探る、というような趣旨だったかと思います。
その番組を見ているときはピンときませんでしたが、要するにスマフォやPCでインターネットと繋がっている時点で、大量の情報を流し続けているという意味なのです。
ビッグデーターという言葉は最近になって耳にするようになりましたが、主にマーケットリサーチに生かす為の活用を謳っているものが多く見受けられるように感じており、災害時の人命救助に使われるのならいいのですが、ネット上に集まる無意識のデーターを本人達が知らないうちに解析してビジネスに役立てるってどうなんだろ、と若干の疑問を感じていました。
狩猟社会から農耕社会へ、そして産業革命を得て工業化の時代へと大きく変化したのと同じような大きな変革の元に情報化社会へと人類は歩みを進めた、とドラッガー博士が著書に著されてから半世紀近くが経った今、経済のグローバル化はもとより、社会の成り立ちが大きく変わっているのを今更ながら実感した次第です。
まさに私たちが子供時代を過ごした頃とは全く違う、断絶の時代へ踏み込んだのを私たちは今見ているのかも知れません。
そりゃ、親子間の断絶もしょうがないか、、(涙)
怖いような、気持ち悪いような、本当にこんなに便利なことが必要なのか?という疑問さえも頭をよぎりましたが、今はもう少しこの便利な世界での居心地を確かめてみたいと思います。
ま、忘れモノ、落しモノの常習犯の私にはいいのかも知れませんが、、