浅草、雷門に来ています。
平日の午前中だというのに凄い人でごった返す仲見世を一人で歩いて、あまりの人の多さに田舎者らしくびっくりしています。(笑)
一人っきりで浅草寺参り、
モチロン観光に来た訳ではなく、大江戸通りを少し北に行ったところにあるビルの改修工事の現場調査に来たついで、あまりにも近かったので一応、お参りに立ち寄ってみました。
1年半ぶりの浅草となるのですが、前回来たのは(最後となったままの)家族3人での家族旅行でした。
たまには娘のリクエストを聞いて彼女の行きたい場所に行こう、ということになり、意見を聞いてみると、東京旅行ということで、、
原宿と秋葉原、おまけは東京ディズニーランド、メインはAKB48劇場見物というオッサンにはなかなかタフな旅行となりました。(苦笑)
ま、喜んでくれればいいか、という事でそのままの流れで冬休みの終わりにくることになったのでした。
景色は記憶を呼び起こし、その時の感情までも一緒に甦らせるものですね。
一人で仲見世を歩きながらその時のことを思い出しました。
初めてと言ってもいい娘のリクエスト丸のみの家族旅行。
彼女にはしゃいでもらって、それを見る私たちも楽しい気分になるはずでしたし、確かにそうならなかった訳ではありません。
しかし、旅行に出発するたった三日前に、ずいぶん可愛がって頂いてお世話になっていたメンターとも言える先輩経営者が急逝して、私はそのあまりの突然の死を受け入れることが出来ないまま、深い失意に陥っていた状態でした。
とてもじゃないけど、楽しめるような状態ではありませんでした。
しかし、ずいぶん前から約束をして、計画を立ててきた家族との旅行を取りやめることも私には出来ず、中途半端な気持ちを引きずったままこの雷門をくぐったのでした。
それでも、その旅行はそれなりに楽しい時間でもあり、今ではいい思い出になったとも思っています。
ただ、今回一人でその場所を歩いてみて、楽しかった思い出と同時に、その時に感じていた身体の中に鉛の塊があるような重たい感情を同時に思い出すという体験をして、人の記憶の残酷さのようなものを知ったのです。
というか、結局、楽しいことも苦しいことも、嬉しいことも悲しいことも全て一体となってその全てが合わさって人生を織りなしていくのだということを改めて認識しました。
森羅万象すべからず表裏一体、陰陽同源。
昨夜遅くに伺ったクライアント先でまだうら若い店長が壁面に大きく書いていた文字。
そして、全てを受け入れる。
そんな気持ちを持つことの重要さを示唆されている様な気がした浅草参りとなりました。