11月3日 文化の日 快晴
11月は茶の湯の世界では茶壺の封を切り『口切り』と言ってお正月に当たります。
今日は朝早くから大津の三井寺で行われる献茶式に参席してきました。
例年は日吉大社の献茶式に参っているのですが、今年の三井寺では智証大師の生誕1200年法要が執り行われており、秘宝のご開帳もあると言うことでこちらに参らせて頂き、とても貴重な体験をさせていただきました。
何しろ、重要文化財の建物で国宝の襖絵に囲まれながら拝服席が設けられており、これ以上のぜいたくは考えられないお茶席でした。
世の中の物事、事象には全て良し悪し善悪は無く、ただそのものがあるだけと言われます。
それを判断するのは全て自分の主観であり、自分自身のあり方、見方が善し悪し決める、と言われており私も実際その通りだと思っています。
それが真理であるならば、自分の直感であるとか判断基準を磨かなければなりませんが、これが非常に難しい事であり、本質を見極める力、などと言うのはおいそれと身に付くものではありません。
意識して自分を磨く努力をしないままではいつまでたっても物事に対する自分なりの正しい判断基準というものができないままになる気がしています。
人は昔から自分を磨き、分別をつけれる、良し悪しが分かる目を持てるようになるために様々なことをしてきたようです。
山にこもって悟りを開いたり、
旅に出て見聞を広めたり、
古典を習いいにしえの人の知恵を身につけたり、
そのような方法論の1つに、
本物を見る目は本物を見て養えと言うことがあります。
審美眼を身につける、などという大層な事ではなくとも、高い評価を勝ち得ているモノにはそれなりの凄みや醸し出す雰囲気があり、その空気感を知るだけでホンモノに対する直感的な感覚を身につける事が出来るきっかけになるのではと思ったりします。
そんなこんなで、見たからわかるようになるという単純なものではないとは思いますが、今日はすばらしいお道具、建築、庭園、絵画、書画、仏像に触れることが出来、一生忘れる事が出来ない一日となりました。
特に、国宝の襖絵に囲まれた書院で茶の湯を頂けたのには感激を通り越して感動。
このような日常では考えられない機会に巡り合わせて頂いた事に、心から感謝した次第です。
月に1度程度しか通えておらず、いつまでたっても上達しない茶の湯ではありますが、それでもコツコツと続けてきたことでこのような機会、というよりご縁を頂けた事を心から嬉しく思いました。
ご縁と、ご指導頂く先生、先輩方に心から感謝致します。
心謝。