春分を前にして獺魚を祭る。

JUGEMテーマ:日記・一般

EM珪藻土山崎の無垢杉材を使った自然素材の新築住宅。
女性コーディネターとつくる想いを叶えるスタイルリフォーム。
21日完工システムでこだわりの繁盛店を作る店舗デザイン施工。

の3つを誠心誠意の完全自社施工でご提供しております、
神戸の西のはしっこで農耕型?建築工事会社を営んでいるオヤジの日記です。

朝からホームセンター廻りをしておりました。
 
少し薄暗いくらいの店内。
いいことだとは思いますが節電したからと言ってその全てが関西から関東に送電出来るかどうかという議論よりも、節電して生み出された利益をどうするかという事が問題なような気もしました。
大きなお世話でしょうが、きっと募金ということになると思います。
その後は完成間近の紫陽花公園の近くの現場に外構工事の打ち合わせ、
ヒロクン先行して進めてくれています。(笑)

昼前には帰社して来客への対応やデスクワークを夜までみっちり、
ありきたりの日常を過ごしました。

そんな中、近所で仲良くさせて頂いている社長がブログを休むというような書き込みをされていて、少し気になってTELをしてみました。
やはり、今回の巨大な震災を目の当たりにして、自分の無力さと、何もできないのに言葉だけを発信することのやりきれなさというか、これでは自分はただの偽善者ではないのか?
という自責の念に駆られたという事でした。
わかります、その通りに私も思います。というか、世のブログやメルマガで情報を発信している方は皆さんが思われたのではないでしょうか?
そんな話の中、じゃあ、と、『高橋社長の今できることはなんですか?』といったご質問を頂きました。
この問いもここ数日の間、誰しもが考え続けた共通の命題ではないでしょうか。
震災の一報を耳にしてから何日も考えた続けた挙句、結局私の答えはというと、
『今は社業に真摯に粛々と打ち込むことしかできないです。』
と、言うことになりました。
塞ぎ込んでいてもしょうがありませんし、建設業を営む者として時が来れば人的なボランティアも必ず行くことになると思いますが、然るべき時にそんな援助が出来るように今は社業に邁進し力を蓄える時だと思うのです。
A社長、今は目いっぱい稼いでおきましょう、そして(日本経済が停滞しないように)使うのもしっかり使いましょう!
というわけで近いうちに一杯ご一緒できるようにお時間を頂戴したいと思います。
ヨロシクお願い致します。
お題目はこちら、

昨日お客様宅の(得意の)建具のメンテナンスに伺って3分ほどの作業の代償として頂いた報酬達です。
換算すると、、、ぼったくりと言われてしまいそうですが、(笑)
ここは遠慮なくご厚意に甘えることに致しました。(←こればっかりですが、)
K様、いつもありがとうございます。
仙台支社の復旧は並大抵の事ではない御苦労かと存じますが、お体をご自愛の上頑張ってくださいませ、お手伝いが出来るようなことがありましたら何でもお声をお掛け下さい。
それにしてもおいしそうなお酒2本という事でこの週末は社内で鍋パーティーを企画してみました。
折しも3連休の最終日は春分。
待ちに待った春の訪れとともに震災の被害に遭っていない我々が率先して前を向いて進まないとと思います。

今日のECO=少しでも 現場に行けば ゴミ拾い
同じ行動が立場によって嫌がられるが、ありがたがられるのはまさにパラダイムの違い。
さてランキング、一瞬ですが1位に返り咲いておりました。偶然ですが、、
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おまけ、つるちゃんの伝説のメルマガに転載されてあった「The New York Times」に掲載されたエッセイの文章です。 
阪神淡路大震災の時の復興のパワーが甦ってきます。
****ここから転載*****
 ◆Sympathy for Japan, and Admiration
 日本へのいたわり、そして称賛
 痛ましい地震のその後、我々は日本の人々と思いを共にしている。
 これは日本で記録された最悪の地震である。しかし、私が本紙の東京
 事務局長として日本に住んでいた1995年の阪神大震災(6千人の犠牲
 者を出し、30万人の人々が家を失った)において報道した経験を思い
 起こすと、私はこう付け足さなくてはならない。
 「今後数日、数週間の日本を見ていよう。
          私たちはきっと何かを学ぶだろう」
 日本の政府が特に地震をうまくコントロールしている、というのでは
 ない。政府は1995年の震災においては救助活動の管理を完全に誤り、
 他国から送られてきた薬や救助犬を取り上げて、その名を汚すことと
 なったのである。
 気も狂わんばかりの最初の数日間、人々はまだ瓦礫の下で生きていた
 のであるが、政府の無能によって不必要に死んだ人たちがいたのであ
 る。
 しかし日本の人々自身の忍耐力、冷静さ、そして秩序は、実にみごと
 であった。日本でよく使われる言葉に「我慢」というものがある。英
 語にはぴたりと当てはまるような訳はないのだが、言うならば
 ”toughing it out.”(耐え抜く)と同じような意味である。そしてこ
 れが神戸の人々が実際に行ったことであった。畏敬の念を抱くほどの、
 勇気と協調性、共通目的を持って。
 日本の秩序と礼儀正しさに、私はしばしば感動していたが、神戸の震
 災後ほど、それに感動したことはない。神戸空港のほぼ全体が破壊さ
 れ、街中の商店のガラスが割れていた。私は略奪や、救援物資をめぐ
 る乱暴な押し合いへし合いなどの場面を街中探し回った。ようやく、
 2人組の男に強盗に入られたという店主に出会い満足したところで、い
 くぶん芝居がかったふうにこのように尋ねた。
 「同じ日本人が、自然災害を利用して犯罪に走るということについて、
 驚きはありますか?」店主は驚いたように「誰が日本人だと言ったの
 だ。外国人だったよ」と答えたのである。
 日本にも貧しい人々はいる。しかし他の国々と比べると、極端に貧し
 い人々はほとんどいないし、非常に高い共通の目的意識を持っている。
 中流階級が非常に多く、実業界の成功者であっても、儲け過ぎている
 と思われることを伝統的に恥じる傾向がある。そのような共通目的意
 識は、日本社会の構造の一部であり、自然災害や危機の後では、特に
 顕著に表れるのである。
 これについてはあまり良く言い過ぎてもいけない。日本の礼儀正しさ
 の裏には、学校や職場におけるいじめや、不法行為によって利益を得
 るやくざ、政治家と実業家の癒着といった問題が存在する。しかし神
 戸の地震の直後、やくざまでもが被災者に食料などを配るためにカウ
 ンターを設置していたのは、衝撃的であった。そして日本の社会構造
 は決して壊れることはなかった。かすり傷ひとつ負わなかったのであ
 る。
 日本人のこういった冷静さは、日本語の中に組み込まれているといえる。
 人々は「仕方がない」と言うのが常であり、他の人にかける言葉として
 最も多いのが「頑張ってください」―耐え抜け、強くなれ―という言葉
 である。そして自然災害は「運命」の一部と考えられている。16世紀の
 日本を訪れたイエズス会の者による、古い記述を読んだのを思い出す。
 地震が村を破壊したその数時間後には、農民たちは自分の家を建て直し
 始めたというのである。
 忍耐強く、周りと協調して立ち直ろうとする精神は、日本人に深く根付
 いている。
 私はしばらく長男を日本の学校に通わせたことがあるが、幼い子供たち
 が真冬でさえ半ズボンで学校に行かされている光景を忘れることができ
 ない。気骨をつくるというのがその考えであったようだが、単に風邪を
 ひかせるだけだと私は思っていた。しかしそれは「我慢」を徐々に教え
 込むためのまたひとつの努力だったのである。
 そして「我慢」こそが、日本が第二次世界大戦から立ち直り、バブル崩
 壊後の「失われた10年」を耐え抜くことを可能にしたのである。いやむ
 しろ、日本人はもっと不平を言ったほうがいいのかもしれない。そうす
 ればおそらく、政治家はもっと答えてくれるだろう。
 自然との関係性については、もうひとつの要素が関連している可能性が
 ある。アメリカ人は、自分たちを自然と対立した存在として考え、自然
 を飼いならそうとする。対照的に日本人は、人間は自然の一部であり、
 それに身をまかせるものと考える。そしてその自然は、たくさんの地震
 をもたらしてきた。
 1923年の関東大震災は、10万人もの命を奪っている。日本語の「自然」
 という言葉は、たった100年と少し前にできた新しい言葉である。なぜ
 なら、そのような概念をわざわざ表現する必要が、伝統的に無かった
 からである。神戸の震災の後の本紙エッセイに、私が同じようなことに
 ついて書き、日本の最も偉大な俳人、松尾芭蕉の句で締めくくっている
 ものがある。
    「憂き節や竹の子となる人の果て」
 日本の回復力と不屈の精神に、私は気高さや勇気を見出している。
 そしてまもなく世界は、それを目の当たりにするだろう。これはまた、
 綿密に編まれた日本の社会組織、その強さと回復力が、輝きを放つとき
 でもある。
 私は日本の人々は必ず力を合わせてくれると信じている。その姿は、
 分裂と口論と私利私欲にまみれたアメリカの政治の現状とは対照的であ
 ると言っていい。
 私たちには、日本から学ぶことがある。私たちの思いは日本に向かって
 いる。痛ましいこの地震に深い同情と、そしてまた、心からの称賛を表
 したい。
 By NICHOLAS KRISTOF
 (訳:英語塾 田畑翔子)
 原文:「The New York Times」ホームページ
 
http://nyti.ms/gQXVsT
***今日も長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。***

「春分を前にして獺魚を祭る。」への2件のフィードバック

  1. 文章にされるとお恥ずかしい限りで・・・
    でも、今を生きるってこと大事であります。
    被災者に出来ることについて自分自身問いただすいい機会であったような気がします。
    御心配かけ、申し訳ございませんでした。

  2. 東社長
    丁寧なコメントありがとうございます。
    よい結果は生む苦しみ有ってこそ、と言うこともあります。
    悩み苦しんだプロセスがあってより力強く前に進んでいけるのだと思います。
    ACのコマーシャルで「思いは見えないけど思いやりは見える。」というフレーズがテレビで流れています。
    神戸人として、企業人として共に悩み苦しみながらも思いを見えるようにしていくことで何かしら出来ることもあるのではないでしょうか、
    ほんの少しだとしても何かの、誰かの足しになるのだと信じたいと思います。

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