愛の反対は無関心である、そして無関心は罪ではないのか。


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神戸の西のはしっこで農耕型?建築工事会社を営んでいるオヤジの日記です。

昨日、一期一会の縁を感じて連れ帰った捨て猫は結局、今朝息を絶えました。
一時は鳴き声を発して何かを訴えるように頭をもたげたりもしていましたが、結局は生きる意志を強く持つまでには至らなかったのだということなのかと思います。
奇しくも昨日のカリスマK氏のブログでも愛の反対は無関心というマザーテレサの言葉を引用されていました。
生れ落ちてすぐの子猫を段ボールに入れて捨てる行為はまさに無関心と無責任の為せる業だと思います、ちょっと想像するのも難しい行為だと思いますが、、そこに愛は無いことは確かだと思います。
また、チャックのおかげで偶然関心を持たずにおれなくなった私にとっては、どのような命であっても縁を持った以上、愛することを選んだ『その選択と行為』は(結果は残念なことになりましたが、)私の心の片隅で生き続けるのだと思います。
関心を寄せること自体が愛することに、
振り返ってみればその時、行為が想いに変化するパラダイムシフトを感じていたのは確かだと思うのです。
実際、今までもあからさまに捨て猫風の子猫を見かけてすべてに関心を寄せた訳ではありませんし、そんなに猫好きでもありません。
いつも、生きていくのは厳しいと思うけどお前も頑張れよ!オレも頑張るしな、と心の中で呟きながらみてみないふりをして通り過ぎて来ました。
今回の事も、連れて帰ると仕事にも支障が出ると分かっているし、何しろ面倒だ。
という気持との葛藤も確かにありました。
介抱してもどうせ死んでしまうだろうし、とも。
ただ、今の自分の選択によってこの子が確実に死ぬであろうという切羽詰まった状態で無関心を装うことが出来なかっただけのことであります。
しかし、たった一晩しか一緒にいることはありませんでしたが、そこには何とか助かってくれ、と、心から祈る私がいました。
結果的には何にもしてあげれなかった。ということになりましたが、、、

お嬢と一緒に埋葬を終えて、そして何事もなかったように何時もの通りに仕事に就きました。
今日の明け方まで良く降り続いた雨も午前中に上がり、昼前には青空が顔を出しました。
私には久しぶりに見た青空のように感じましたが、その晴れやかな光景を一度も見ることなく逝ってしまった子猫達には深い悲しみを覚えずにはいられませんでした。
それにしても、、
こんな苦しい選択や自責の念に囚われる根源を生み出すものがたった一人の無関心だとは、、
しかし、無関心という言葉、領域はとても広く、今回の事はたまたま私の関心の輪の中で起こっていただけで、私の知らないところ(無関心な領域)では、きっと私も同じような過ちを犯しているのだと思うのです。
関心が無いだけで同じ罪をきっと私も背負っているのです。
人は全員間違いなく死ぬことになっています。
毎日が死へのカウントダウンでもありますし、人生そのものが死への旅路とも言えます。
何のために生きるのか、
そして死ぬのか、
生きている証に何を残すのか、
何のためなら死ねるのか、
もう少し考えながら死へと向かうこと(生きること)をすべきなのではと、考えさせられる一日となりました。
名も無き子猫の冥福を祈りつつ、、

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