余白に意図有り。

 JUGEMテーマ:日記・一般

たしか朝は気持ちよく晴れ渡っていたと思いましたが、朝から珍しく車でドタバタと走り回っていて、気付いたときにはいつの間にか厚い雲に覆われていた神戸です。
実は、解体や土工事などは(なぜか)私の担当となっておりまして、今朝は解体工事中の現場でのトラブル処理に早くから出掛けました。
残すべき隣地との境のブロック塀がどうやら震災の影響で傷んでおり、残せそうにも無いということで、現地にいってみると、
ぱっと見ただけではわかりませんが、足下の方ですっかりブロックが割れて補修も難しい状況、
よく見ると元々建っていた位置からかなりずれておりました。
早速、設計事務所の先生とお施主様、また隣地の住人の方に連絡を取って対処をしましたよ、
こんな事もあろうかと、隣地の方と塀を修繕もしくは作り直す協議を前もって行って頂いていたのが功を奏したかたちです。
まあ、神戸の住宅は未だあちこちに震災の影響が潜んでおりまして、見た目だけではないリスクを常に考えながら建築の計画を立てないと大変な事になってしまいます。
見た目だけには本当のことはない、という事ですね。
さて、お題目はその震災の見えない爪痕とも共通するかもですが、今夜受けた書道のお稽古の中で先生に教わった学びです。
今夜は実務であまりにもよく使う便せんでの書き方の着いてご教授頂いたのですが、教えて頂いたのは字のカタチではなく、余白の作り方。
書道の時間というのは字を書くということに集中するものだ、という概念が根底から間違っていた事を思い知らされました。
手紙にしても詫び状にしても覚え書きにしても然りですが、字を書いて人に渡すということは事実を伝える、という事に重きを置くのではなく、自分がどのように思っているか、という想いを伝える事の方が重要だというアタリマエの事に今更ながら気付かされました。
では、想いを伝えるにはどうすればいいか?
それは一文字、一字のカタチに集中して丁寧に書く事も確かに大事ではあるのですが、それより重要な事は、全体の読みやすさであったり、細かな心遣いであったりだと言う事なのです。
例えば行末を揃えるように文字の大きさや間隔を調整したり、ということなのです。
確かにそこに本質があり、『道』と呼ばれる日本の伝統文化の根っこの部分に触れたような気がしました。
(いい年になって今更という声もありますが、)これからも日本的価値観、しっかりと学びたいと思います。(苦笑)

私たちすみれ建築工房は

『建築業を通して地域社会に貢献する』
を理念にモノづくりの本質を守り、 投稿日: カテゴリー 未分類

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