どう生きるべきか?では無く、どうあるべきか。

暑かった夏もそろそろおしまい。

日中はまだ残暑厳しい日が続いていますが、夕暮れからは涼しい風が吹き始めます。 

今日も朝から飛び出したまま、一日ドタバタと走り回りましたが、夕方は少しの時間を見つけてワンコのお散歩がてら近所の神社に参拝に出掛けました。
今日はお朔日。
いつもは朝にお参りに行くのですが、諸事情有り初めて夕暮れ時に行った総社はいつもと少し違うしっとりとした表情で、迎えてくださいました。
今月もよろしくおたの申します、
いつもよりもゆっくりと柏手を打ちました。
お題目は、(むりやり予定をこじ開けて)朝早くから出掛けて参加した自主上映会の映画を見ての気付きです。
観て来たのは
http://www.nippon-p.org/concept.html
facebookで紹介されて、題名を見ただけで何となくピンと来ていて、参加するかどうかを迷っていましたが、なかなか見に行こう、と自分で決断出来ませんでした。
しかし、先日たまたまのご縁でチケットを購入する機会に遭遇して、これも何かの必然なのか、と思い参加してみました。
映画を観に行く事自体が久しぶりと言う事もありますが、とっても良い映画で自分自身の内面に深く考えさせられるところが多々ありました。
そして、一番の気付きは、(すこし大げさですが、)生きるという前に、生かされているという事実。
(自分自身を含めて)世の中は全てちっぽけな生命体の集合体であり、そのちっぽけなものが折り重なって地球を形作っているというアタリマエのことなのですが、つい、己自身の小ささを忘れてしまいがちだと思ったのです。
なんの為に生きるか、そして何の為に死ぬか。
私が常々想いを巡らす人生においてのメインテーマは実はとても独りよがりな小さなもので、そのちっぽけな思考を繰り返す前に生かされているものとしての『あるべき姿』を見いだすべきではないのかと、
『降りていく生き方』というのは自己の内面を見つめ研ぎ澄ますと言う事ではなく、ちっぽけな自分を認識して大きな自然の循環の中にいることに目を向ける事によって本来あるべき姿に気付く事だと思ったのです。
それは決して成長する事を否定するのではなく、草や木が育つように自然の摂理に沿ったあるべき姿としての成長のありかたがある様な気がしました。
とは言うものの、そんな事を具体的な行動に落とし込むには、少しややこしいのでこれから時間をかけて整理して行きたいと思います。
全ては必然、という言葉に集約される様に思いますが、今はひたすらご縁に感謝するばかりです。
深謝。

私たちすみれ建築工房は


『建築業を通して地域社会に貢献する』
を理念にモノづくりの本質を守り、

『設計、施工の内製化、作り手の地位向上』
をミッションとして日々社業に励んでいます。
EM珪藻土山崎の無垢杉材を使った自然素材の新築住宅。
21日完工システムでこだわりの繁盛店を作る店舗デザイン施工。
を神戸の西の果てで誠心誠意の自社設計・施工で行っています。
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