たしか、天気予報は雨だったと思います。
朝からぶ厚い雲に覆われてはいましたが、ときおり雲の間にぽっかりと穴があき、青空が見えるというおかしな空模様の神戸でした。
パラパラと雨が降っては止み、止んだと思えばまた降る面倒な天気でしたが、週の立ち上がりは現場から、ということで朝から海沿いの現場に担当のイッペー君と細かな納まりの確認に向かいました。
ひとしきり現場の納めの確認をした後、帰り際に見つけた味のある看板、
一の谷町の根生 サクラ
根性ではなくて根生というのは岩の下で根が生きている事にひっかけてあるのでしょうか(笑)
それにしてもこのサクラの木、小さいながらもしっかりとした幹と成り立派に岩を突き抜けて葉をつけておりました。
その元気な姿に、春がくればきっと花を咲かせるんだろうなー、などと思いつつ、脳裏ををよぎったのはお題目の故事です。
「一念、岩をも通す。」
という諺の所以は司馬遷の史記の中の、
前漢の将軍であった李広が、石を虎と見誤って必死に矢を放ったところ、矢が見事に石に突き刺さったという故事。
からきています、原文はこんな感じ、
広、出でて狩するに、草中の石を見、以て虎と為して之を射る。石に中りて鏃を没するも、之を視るや石なり。
このいわれを聞くと、例え間違いだろうとも思い込み激しく物事にあたれば例え不可能な事でも叶ったりする、という風に取れますが、そんな訳ないやろ、と、つい突っ込んでしまいたくなりますね。(笑)
しかし、実際にサクラの木が岩を突き抜けて育っているのを見ると、それもあながち間違いでもない訳で、、
要するに、強い一念を持ち、絶え間ない努力を積み重ね、時間をかけてすこしずつ進んでいけばありえないような事も起こるという事実を見せてくれていると言う事だと思うのです。
岩を突き抜けたサクラの木は継続する力の重要さを示唆してくれている様な気がしたのです。
一の谷町の根生サクラが、何年かけて岩を貫いて根を張ったのかは分かりませんが、間違って飛んで来ただけでするすると根を伸ばし、幹を育てたのではない事は容易に想像がつきます。
そして、時間をかけたにしても根を張って青々とした葉をつけている姿を見て迷わずに一つの事に没頭して継続するには大いなる思い込みも大事なのかな、と思いました。
そう考えると、自分を信じることも、ある意味大いなる思い込みかも知れませんしね、(笑)
理想論者の私は何かと難しい事に挑んでしまいがちで、未だに自分が選択した道が正しいのか、出来るのか、思い悩む事が少なくありません。
ただ、自然の営みに逆らわず、コツコツと努力を継続していけばきっといつかは花が咲くのだと、今一度自分を信じて進んでいきたいと思います。
たとえそれが虎と岩を見間違がうような大きな勘違いであったとしても、です。(笑)
一の谷町の根生サクラの様にそのうちきっときれいな花が咲くと信じて。