花冷えと言うのでしょうか、
今日の神戸は朝から強い風が吹き時折雨も降るなどで肌寒いいちにちとなりました。
朝一番は、やっぱり工事現場へ。
鉄筋の組み立ての前にこの地に出来上がる家の末長い幸せを祈りながら宮司さんからお預かりしていた鎮物を納めに行きました。
その後はまだまだ続く引き渡しや残工事の打ち合わせで走り回り、やっとデスクに座るころには(やっぱり)夕暮れを迎えておりました。
相変わらずいちにちが過ぎるのが早いこと。。
さてお題目は、そんなドタバタした毎日を過ごしながらふと思い出した世阿弥が残した言葉です。
能の大成者である世阿弥は稽古を重ねて修行を積み重ねる心得を年代に分けて説いています。
風姿花伝の第一章の年来稽古条々では7歳頃から傾向始める能の修行を7段階のステップに分けられており、
「花の散るから美しい。」
の花とは、少年期の12、1 3歳の頃のことを指して能における最も幽玄な美しい年代として最大級の賛辞を送っています。
しかし、美しく咲き誇る花は時分の花であり、まことの花ではない、と言葉を続け、
『このころの稽古、やすきところを花 にあてて、わざをば大事にすべし。はたらきをも確やかに、音曲をも、文字にさわさわとあたり、舞をも、手をさ だめて、大事にして稽古すべし。』
と、戒めています。
いみじくも、今は桜の季節、増税を機に需要が大きく跳ね上がった建築業界もまたそんな危うさをもった季節にあるような気がします。
世阿弥が能楽の理論書としてまとめた風姿花伝の最後の章には
「秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
という有名な言葉と共に、因果応報の原則を繰り返し述べられており、『花は心、種は態。』という人としての在り方を見つめる事が芸を実らす根本だと説かれております。
美しくも儚く咲き誇る桜をみて、そんなことを思い出しました。
忙しいとき程、地に足をしっかりつけて、将来に向けて種を撒く事を忘れない。
大事な事はやっぱりそんなことなのかな、と。
満開の桜を愛でながら酒を飲む時間を持てぬ負け惜しみです。(苦笑)