スマホはもはやオレの臓器!?

JUGEMテーマ:日記・一般

昨日の朝はちょっとしたトラブルが有り、連絡が取れなくなっておりました。
といっても、水曜日は一応、すみれ事務所は定休日ということで一日くらい連絡が取れなくなっても大したことは有りませんが、ケータイを持ち歩く様になってからは、いつでも連絡が取れないと仕事にならないような気がするから不思議です。
私が社会人として働き出した頃は確かケータイどころかポケベル(死語か、)もそんなに普及していなかったと思います。
ポンっと出掛けたら一切連絡がつかない生活だった訳ですが、全く不便を感じたことは有りませんでした。
今では、電話をかけるだけではなく、車のナビゲート、カメラ、コンパス、懐中電灯、ラジオ、等々、いろんな役目を担ってくれるスマホが無いと、生活が成り立たないと思う程、それが使えないと不安で一杯になってしまいます。
人間は環境の生き物と言いますが、その順応性にはいつもながら驚いてしまいます、
昨日のトラブルはこのもの凄く便利になったスマホが私たちにもたらしたものは何かしら、とふと考えてしまう機会となりました。
私たちがスマホを使いこなす様になって手に入れたもの。
いろいろと有りますが、シンプルにまとめて行くと18世紀の産業革命に匹敵する大きな時代の変わり目だと言われる『情報革命』に連動してそれを支えるツールとして、というよりその革命を世界の人々に波及させる大きな役割を担っているのではないでしょうか。
そして、情報化社会になって手に入れられるものは、『時間』です。
手のひらにインターネットをつなげて世界中のありとあらゆる情報を集めて、それを判断材料に行動することは劇的に時間の短縮となります。
非常に効率的です。
しかし、何か違和感が残る気がして、私たちが手に入れたものの代わりに失ったものは何か?と考えていたところ、ラジオから面白いフレーズを連呼する歌が流れてきました。
♪スマホはもはや俺の臓器♪って、(笑)

 

「ファントムヴァイブレーション」MV(映像制作・監督 加藤マニ)

歌っているのはキュウソネコカミというインディーズバンドの様です。
なかなか示唆に飛んでいるっていうか、要するにスマホあるあるですが、(笑)
この歌を聴いてみて、私たちは仕事や行動の効率化によって時間を手に入れた代わりに、ゆっくりと時間をかける、という選択肢を無くしてしまった様な気がしました。
人生とは、人が生きている時間のこと。
時間が人生を構成するパーツだと考えると、時間を手に入れる、という事はスピードを上げるだけが方法論でないはずで、
逆に、今の時間そのモノが人生ならば、早くなく、ゆっくりでも豊かな暮らしを目指すと言う選択肢が有って然るべきな気がします。
スマホを手放すことが出来る様に、方法論を考えてみたいと思う出来事でした。

 

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