哲学の尻尾。

8月13日 曇天

昨日に引き続き、涼しい朝でした。

 

伊川の朝
伊川の朝

子供の頃、お盆に海に入ると足を引っ張られる、とよく言われ、海水浴シーズンの終了を宣告されて、なんだか物悲しいような、気分になったのが記憶の片隅に残っているのか、この時期は何となく気分が上がりません。

世間様はすっかり盆休みに入ったようで、SNSを覗くとバカンスを楽しむキラキラの写真でいっぱい。私は墓参りに一日だけの休みしか取っておりませんが、皆さんの楽しそうな投稿を覗いてそれなりに行楽シーズンの気分だけ味わせてもらってます。(笑)

すみれは今日も現場も事務所もほぼ平常通り、一日事務所に籠ってPCに向き合っておりました。

 

哲学が違う

さて、お題目は尊敬している経営者さんのfb(フェイスブックね、)の投稿を見て、ふと感じた事。

こちら、※fbからの転載です。

 

ただひとつ、まっとうな自然食品フルラインシリーズのプレマシャンティ。さらに加速してアイテム増強しています。まっとうな食べ物であることはもちろん、残留放射線量検査を日本どこの産地でも行い、不検出のものだけをお届けします。特定地域だけの検査とはそもそもの哲学が違います。

 

自然食品、健康食品などという陳腐な括りで紹介するのも気が引ける、常に真摯に、誠実な商品を世に送り出し続けているプレマ社がその精度をさらに高め、卓越の境地へと足を踏み入れられています。

無添加、無農薬はもちろん、残留放射線検査を日本中の全ての産地で計測するという姿勢は食の安全に完璧な根拠を示す国内唯一無二の存在です。

 

その紹介の投稿に中川社長が書かれていた、『哲学が違う』との言葉、正直しびれました。

 

 

 

フィロソフィーと哲学

四年前に急逝した私がメンターとして師事していた方が最後の一年に掲げていたテーマが、『哲学を作り上げる』とのコトでした。

稲盛和夫氏の提唱される、『フィロソフィー』という呼び方で企業の姿勢や考え方を明文化されているのは、よく聞いたり、目にしたりしますが、経営者としての『哲学』をしっかり堅持され、発信されているのはあまり聞き及びません。

亡きメンターの置き土産とも言える、『哲学を持つ』というコトに対して、この四年間、私もぼんやりではありますが、ずっと頭のどこかに引っ掛かっており、いつかどこかのタイミングで取り組まなければならない命題の様に感じていたのです。

 

しかし、『哲学』という言葉の響きはずいぶん敷居が高く、おいそれと片付けると言う訳にもいかず、、

なかなか手を付けれなかったのが正直なところです。

ちなみに、定義の整理にググってみると、、

デジタル大辞泉の解説

てつ‐がく【哲学】

《philosophyの訳語。ギリシャ語のphilosophiaに由来し、「sophia(智)をphilein(愛する)」という意。西周(にしあまね)が賢哲を愛し希求する意味で「希哲学」の訳語を造語したが、のち「哲学」に改めた》
 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論論理学存在論倫理学美学などの領域を含む。
 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての―をもつ」「人生―」

 

 

 

哲学の尻尾

私は学者でもなんでもなく学問に取り組むつもりはサラサラありません。ただ、人生に向き合う上でその必要性を感じているところから考えると、『哲学を持つ』とは、この解説の2にある『物事を統一的に把握する理念』をまとめる事なのかと思います。

そして、把握するとは、その物事の本質を知りえるコトを指しており、机上の空論に惑わされる事無く、自分自身の経験、体験を通して真理をつかみ取らなければならないのではないかと。

実体験の中から真理をあぶり出し、その蓄積が自分なりの『哲学』を形成して行くのではないか、とプレマ社の中川社長の活動や情報発信を眩しく見ながら感じた次第です。

天命を知る年まで後僅か、そろそろなんとかして自分なりの哲学の尻尾をつかみたいと思います。

 

あ、モチロン、プレマ社の新ラインナップ、強くオススメします!(^^)

 

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