12月20日 曇
山の民とのコラボ
今朝は早くから事務所を飛び出し、神戸ハーバーランドへ。
地元産の木材の良さを伝え、地産地消の価値を啓蒙する活動の拠点、ひょうご木づかい王国学校の運営委員会でした。兵庫県、兵庫県木材連合会、そして私達地場工務店の有志が集まって、なんとか地元産の木材利用を増やしつつ、安全で快適、コストバランスに優れた高性能の住宅の普及を促進しようという地味な活動です。(笑)
今回は森林再生、活性化のスペシャリストの能口さん、仏師の桂野さんをはじめとする伝統技能者クラブの方や、多可町の加美林業研究クラブと言った山の民の方々にもお越し頂き、また、少し毛色が違いますが、リフォーム事業関連のクラウドサービスを行なわれている右田さんにもご賛同を頂き、同じ志しのもと、協力し合いながらお互いに盛り上げて行く道を模索しました。
心強い仲間が続々と増えて来て、明るい未来が見えて来たというか、新しいムーブメントになる予感がしてきました。私達すみれが長年掲げて来て取り組んで来た自立循環型社会、ビジネスモデル構築への足掛かりが見つかった気がします。
今日の運営委員会では早速、年明けの1月には多可町での木材の伐採ツアーをひょうご木づかい王国学校の主催で企画することになりました。詳細はまた告知しますのでご期待下さい。
19年前のクリスマス。
さて、年末もずいぶんとおし迫って来て、街に出るとクリスマスソングがかかっており、至る所にイルミネーションがピカピカと光っています。その光景は一般的にはウキウキ楽しい雰囲気に映ると思いますが、私の場合は少し違っておりまして、阪神大震災の後、休みも無く働き続け、走り続けた時の何とも言えない切ない気持ちが胸の奥から込み上げてきます。
今もクリスマスソングを耳にする度に、もう20年近く昔の事になりますがとっぷりと日が暮れて真っ暗になった高速道路でトラックを走らせながら、KISS-FMのDJの女性がリスナーのコメントを読み上げているのを聞いて、涙したのを思い出してしまいます。
「街はクリスマスで浮かれているかもしれへんけど、オレら神戸の建築屋にはクリスマスも正月もあらへんし、浮かれとう場合やない、まだまだがんばんでー」
という様な空元気っぽいコメントだったと思いますが、当時の神戸では同じ気持ちで震災の復旧に走り回っていた人はゴマンとおり、(一応、)新婚だった私もその中の一人でした。妻に申し訳ない様な、しょうがない様な、行き場の無い憤りに戸惑う様な、ほろ苦く、切ない複雑な心境でラジオを聞いていた時の感情は胸の奥の方に今もなおべったりと張り付いたままで、街中がクリスマスの喧噪に包まれているのを見ると無意識にその時の記憶が甦ってきます。
明日が来るとは限らない。
今の神戸はその当時の事などすっかり忘れたかの様に平和で楽しそうな雰囲気に包まれています。それはそれでいいし、いつまでもキツかった時の事を引きずっていてもしょうがないとは思います。
しかし、なんてこと無いアタリマエの日常はある日突然音を立てて崩れ去り無くなってしまう事を私達は知っているし、それはなんの前触れも無く急にやってくることもしっかりと記憶しています。
そして、人は必ず死ぬし、それもいつなのかは誰にも分かりません。震災を経験した私達はそんなアタリマエだけどなかなか向き合えない真実をあまり意識をすること無く、リアリティーを持って受け入れることが出来ている様な気がします。
未来は今日作られますが、その未来はいつまであるのかは誰にも分からない。今を生きるしか無いですが、今の為だけに生きるのはナンセンスに過ぎる訳で、そんなパラドックスの中、人は皆生きているんだよな、なんて事をこの時期になると考えてしまいます。
だから、今だろっ
現在、すみれ社内で絶賛取り組んでいるスタッフとの個人面談では、私がスタッフに対して行動に起こす事の大切さ、継続、習慣の破壊力について切々と訴える場面が少なくありません。
ほんの少しの行動。緊急性がなく、今取り組んでも取り組まなくても来年からの給料には関係がないし、来月の暮らしにはなんの影響も無いことでも、人生を俯瞰した時に重要だと思える事、学ぶ事や習い事、体力づくり、読書など、自己の内面を磨く事にほんの少しの時間を割き、習慣として継続する事で数年経ったあとで圧倒的な成果を生み出すと声を枯らして訴えています。(笑)
そんな積み重ねこそが、ある日突然やって来る激しい環境の変化にも対応出来る強さを身につける事になるのだと思うのです。今、アタリマエにある日常は、ある日突然無くなるのですから。
「今日を、今を精一杯生きる。」言葉にすると陳腐ですが、未来に悲観する必要も無いし、それでも何が起こるか分からないのが人生と考えると、そんな風に考えるしか無い様に思います。
しかし、「分かってます、やります!」と言って続かないのが人の常、残念ですが(私も含めて)人の意志なんて塩が溶ける様にすぐにフニャフニャになってしまいます。それを乗り越えるのは、明日が来るとは限らない、人生何があるか分からない、一日過ごすごとに死に近づいている、死生観といってもいいようなパラダイムを持つしかないのかも知れません。
震災を知らない若者達にそれを持てというのはいささか酷なのかも、なんて思いつつ、これからの人生を圧倒的、劇的に変える、どんな変化にも対応出来る力を蓄える、習慣の力を身につけてもらいたいと心から思います。
そんなこんなで、敢えて言い続ける事にします、「今やろ、いま!」
そして、人生はやるか、やらんか。ハッキリせい!結局、決めるか、決めんかだけでっせ。(笑)