永遠の友情、永遠の報国。

 JUGEMテーマ:日記・一般

終戦記念日。
戦後67年という年月が経ち、戦争を経験された方もずいぶん少なくなって来ました。
私たちはモチロン戦争を体験として知っている訳ではありませんが、戦後20数年で生まれて来ているだけに、間接的な知識や、戦後の爪痕などを子供の時に見聞きしているような覚えがあります。
子供の頃、町中に出ると商店街に足や腕が無い傷痍軍人がゴザを敷き、軍服を来て包帯を巻いていつも寄付を募っていた姿は今も脳裏に焼き付いています。
そう考えると我々40代後半の世代って戦後生まれなのですね、、
いつも散歩の途中にお参りする近所の神社にも大東亜戦争の戦没者の慰霊碑が立ってあり、今朝はいつもと少し違う意味を込めてお参りに行き、手を合わせて来ました。
私はどのような理由があろうとも戦争に是非は無く、絶対悪だという風に思っています。
しかし、敗戦から67年という年月が過ぎ、戦敗国である日本、当事国としての凄惨な戦争の記憶が薄れ出していると感じる今、世の中の意識はすこし変わって来ている様な気がしています。
尖閣諸島、竹島、北方領土と今日の終戦記念日に照準を合わしたように国境を接する諸外国は日本の領土に対するプレッシャーを強めて来ました。
国土を守る、領土を侵させない事は国家としての最優先事項だと思いますし、その為に専守防衛の理念に基づいた自衛隊が存在している訳ですから毅然とした態度で臨んで然るべきだとも思います。
しかし、インターネットの中でそれらのニュースについてのコメントや書き込みは思いのほか好戦的というか、戦争を厭わずに相対せよ、と言った論調が多く見受けられ、戦争放棄という高い理念を持った今の日本国憲法を無いものにしようと言う風潮が強まっている様な印象を受けました。
戦争=絶対悪。
あと一巡世代が変わればそんな価値観を持つ人が日本には少なくなるのかな、と思うとともに、子供達に戦争の恐ろしさ、無意味さをもっと丁寧に教えていかなければならないと感じました。
そんな事を思いながら今日は家族でお墓参りに行きました。
1つ目は妻の母、娘からするとおばあさんのお墓。
この夏、家族で富士山に登って来た報告と、もっとお義母さんの期待に添う様な幸せを家庭で実現出来るように誓って来ました。
2つ目は若くして無くなった子供の頃の親友のお墓。
墓前に手を合わせ、心の中でつぶやいた事は、、
幸せになっていますが、いいですか?
という問いかけでした。
小学校5年生の春休みに転校して、誰一人知っている友達がいない新しい学校に通うことになったとき、偶然前の団地に同じように転校して来た子供がいました。
新学期が始まる前に友達が出来て、一緒に登校出来た事は本当に嬉しくて、不安から始まるはずだった転校後の学校生活が一転してとても楽しいものになった事をいまも憶えています。
その彼とは小学校、中学校とずっと共に過ごし、中学校では部活動も一緒、悪い事をするのも一緒で、喧嘩もしましたが本当に無二の親友という関係が続きました。
中学校を卒業後、彼は夜間高校に通いながら就職し、私は一応高校に通い始めました。
それからも親交は続き、幼いながらもそのうち一緒に仕事をしような、などと将来の夢を語る事もありました。
私も彼も学校では落ちこぼれの厄介者でしたので、どうあがいてもまともな会社に就職してサラリーマンとして一生を過ごせる訳は無く、なんとか自分たちの力で人生を切り開いて行かないとしょうがないってこともあり、ハンパモン同志、力を合わせてビッグになろうぜ、的なことをよく話していた様な気がします。
しかし、残念ながら、その彼は17歳の若さでこの世を去りました。
その時の悔しさ、悲しさは未だに記憶の中で薄れる事は無く、砂を噛む様な感覚となって今も私の身体の中に残っています。
私と一緒にしよう、と言っていたのは何だったか、
彼がしたかった事は何だったか、
事あるごとに彼の墓前に行き、繰り返しそんな事ばかりを考える日々が続き、それから間もなく私も学校を辞めて、自由に生きる事を模索しながら社会に出て働き始めました。
彼が生きたかった人生をオレが歩む。
そんな風に思っていたのがそれから私の生きて来た人生のモチベーションの全てだった気がします。
自分の人生を天からの彼の目を意識して客観視するようになった私は現状の不満を我慢する事無く模索を続け、職を転々としました。
一人で遠くに旅に出たり、山奥に住んでみたり、自由で楽しそうな職業を目指してみたり、普通の人では続かないと言われた厳しい職場で働いてみたり、独立起業出来るようにと職人に転職してみたり、、
振り返ってみれば長い間、私の行動の基準は全てそんな事でした。
そして自分の身の回りの環境が変わる度に彼の墓前に行き、
これでいいか?
これで間違えてないか?
これがやりたかったことか?
という問いを繰り返して来たのでした。
その結果が今。
家族と一緒に墓前に向き合い、今もやはりこれで良かったか?と問いかけます。
そして、今年はなんとか人並みの幸せを掴めているよ、という報告も一緒にしてみました。
幸せにな

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