JUGEMテーマ:日記・一般
京都では大文字の送り火に火がかけられ、夏の終わりを告げられました。
空もすっかり秋模様。
鰯雲でしたっけ、
羊雲でしたっけ?
とにかく夏の雲ではなくなりました。
今日も(一応)お仕事、午前中デスクワークをした後は現場チェックに出掛けました。
おかげさまで今年のお盆は本当に忙しくさせて頂いて、現場のスタッフも盆休み返上で頑張ってくれました。
私はあまり現場の助けにはなっていませんが、一応、遠出は控えて近場でゴソゴソなお盆を過ごしました。
そんな私のこのお盆のテーマは読書。
硬軟取り混ぜて積み上げた未読本をこの機会に少しでも片付ける事に注力してみようと一念発起してみました。(笑)
そんなこんなで合間を見ては面白い本や面白くない本を片っ端から読みあさってます。(笑)
今日も夕方におっされーなカフェに行って読んでたのは面白くなさそうな題名の面白い本。
この手の本は目新しい事が書いてなくても結構楽しく読めますね、、
読了して、良かったらまたご紹介をしたいと思います。
さて、お題目は親鸞上人が提唱された教えの一つであり、すみれのトイレにも貼っているという私の根本的な思考と非常に重なる部分が多い考え方です。
Wikiから引用すると、
善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
― 『歎異抄』第3章
超、乱暴にまとめてしまうと、我々は全員、煩悩に振り回される悪人だと、
いくら善人ぶっても心の奥底には必ず煩悩の陰があり、真の善人などなり得る訳も無いのです。
そもそも、建築業界や飲食店など労働集約型の現場に従事する者は少なからず社会の枠組みから外れた者が殆どです。
そんな今の社会システムに適合出来なかった事自体、社会に出るまでの全体的な評価としては悪い訳です。
しかし、身体を使って、厳しい灼熱の夏を乗り越えてモノを作る作業をするには机にかじりついて学を積んだからといって到底出来ることではありません。
結局、人それぞれの役割みたいなものがあって、学歴社会的な善し悪しではなくって、その枠組みから外れる者も社会には必ず必要だと思うのです。
そして、そんな人間ばかりが集まった建築業界もまた、逆の意味でおかしな常識がはびこり、一般の方の当たり前の概念と遠く外れた世界で凝り固まっていたりもします。
それでも、(私を含めて)そんな人たちも社会的に必要な者だという意味で人並みの幸せを手にしないといけないと思うのです。
それが、私に取っての悪人正機です。
しかし、本当はどちらの立場に立ったとしても、自分たちが正しい、と思った時程、(相手側に取って)間違ったりするわけで、でも、本当はどちらも正しく、お互いに常に正義を持っている訳ですよね、
そんな善悪は表裏一体だという価値観を様々な角度から論じているのが、(左翼系)思想界の大家と言われた吉本隆明氏に糸井重里氏がインタビューしたこの本でした。
悪人正機という概念について分かりやすいかどうかと言われると、答えに困りますが、全てを断言しない本ってなかなか無いモノで、やんわりと方向性を示されるのが一番考えを深めるのかな、と思った次第です。
ま。悪人正機というテーマを持たずして読むと、何のこっちゃってことになるかも知れませんが、、
私の場合、表題に惹かれて手に取ったのが全てなので、買われる前に立ち読みをお薦めします。(笑)
私たちすみれ建築工房は
『建築業を通して地域社会に貢献する』
を理念にモノづくりの本質を守り、
『設計、施工の内製化、作り手の地位向上』
をミッションとして日々社業に励んでいます。
を神戸の西の果てで誠心誠意の自社設計・施工で行っています。
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