燃やされた桜の木の下で。

 

JUGEMテーマ:日記・一般
昨日、久しぶりに降った雨はシナシナになりかけていた河川敷の雑草や木々を生き返らせた様でした。
日曜日のお約束、朝はいつものランニングということで、やっぱりいつもの河川敷を走り出しました。
雨が降った後は空気が湿って蒸し暑くもありますが、一応まだ6月という事で日が照り始めるまでは涼しくて、とても気持ち良く走ることが出来ました。
調子良く走っていたのですが、なにかおかしな匂いと、景色の違和感に気付き足を止めました。
なんと!
河川敷に植えられている桜の木が燃やされていたのです!
かろうじて半分くらい緑の葉が残っている木もありましたが、中には幹を完全に燃やされて葉が全て茶色に変色しているものも数本有りました。
誰が、何の為にこんな酷いことをするんだろう、
と考えましたが、どう考えても大した目的があるとは考えられず、ただ怒りが込み上げて来るばかり、、
こんなことなら朝のランニングをやめてパトロールを兼ねて深夜に走った方がいいのでは、
なんて考えました。
ま、一週間に一度パトロールするくらいでは屁の突っ張りにもならんか、、とすぐにその考えは引っ込めましたが、、
近くの派出所の巡査にお願いするとします。
その後、走りながら考えたのは、関心の輪と影響の輪の話。
敬愛するスティービン・R・コビィー氏がその昔、著書の中で説明されていた考え方です。
毎日散歩する河川敷、その美しい環境を守りたい、という関心があります。
しかし、私には四六時中河川敷のパトロールをして、ゴミを捨てる人やいたずらをする人を取り締まることは出来ません。
そんな時間も持っていないし、そんな権限もありません。
要するに、わたしの影響力はそこにはないのです。
私が影響することが出来る範囲と言うと、朝の散歩の時に、よその犬がおいて行ったうんちをとったり、散らかしたままのゴミを片付けたりする程度なのです。
これが関心の輪と影響の輪のギャップです。
コビィー博士は言われました。
関心の輪にいくら意識をしても結局なんにも出来ない、行なうべきは影響の輪の中のことを一生懸命に取り組むことで、その結果、段々と影響の輪は大きくなっていつか関心の輪を凌駕するようになるだろう。
何の結果も残さないまま、関心の輪に意識を注いでもそれは結果として影響の輪を縮めて行くことになってしまうのだ。
そんな言葉を思い出しました。
この概念は事業に置き換えても同じで、事業の目的は理念の実現であり、すみれの理念とは、
『建築業を通して地域社会に貢献する』
という大きな関心を掲げている訳ですが、私たちが実際に影響力を持って出来ることはたかが知れています。
実際は、一件ずつのお客様の家でしっかりした工事を行なっていくことや、その後のアフターメンテナンスで積極的に訪問すること、もっと狭い範囲で見ると、スタッフやその家族の生活を安定して安心して暮らしてもらえるようにすること。
そんな小さな影響の輪の中しか今は持っていない訳です。
しかし、コビィー博士の言うようにすこしずつスタッフが増え、お客様が増えて行く中で、地域社会へ、と大げさに書いた理念に近づいていくと思うのです。
今出来ることに集中する。
桜の木にはいろいろと教えられます。。
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全ての人に快適な住環境を提供したい! 

私たちすみれ建築工房は
『建築業を通して地域社会に貢献する』
を理念に掲げ、


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