今朝はずいぶんと冷え込みました。
朝曇りの雲の切れから寒そうな青空が顔を出しているのを見て、青い色のこと寒色系とはよく言ったものだなと思ったり。
今朝は特に風が冷たくポケットから手渡せないまま朝の散歩、本格的な冬の到来を感じてしまいました。
それもそのはず、そろそろ12月も中盤に差し掛かりクリスマスまであと2週間。
年末が近づいてきたということですっかり年末恒例の風物詩となりつつあるいつもの年末助け合い運動を今年も行います。
今回で5回目を数えるこの活動、ささやかなからも皆さんのご協力のおかげで何とか継続することができております。
今年もほんの少しで結構ですので何卒ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
今年も神戸と、宮城、福島で孤児となって施設に住まう子供たちに年越しのカニ鍋をおなかいっぱい食べてもらおう!
と言う企画になっています。
ほんのお気持ちで結構ですので、神戸、宮城、福島の厳しい環境にいる子供たちに募金を頂ければと思います。
神戸の震災孤児はもう全員が社会に出る歳になりましたが、東北ではこれから長い時間がかかります。
未だ心の傷が癒えるまでも至っていないことは想像に難くないですが、年末のひと時だけでも笑顔を取り戻してもらえるお手伝いが出来ればと思います。
震災の後、無力感にさいなまされて、
歯がゆい想いをした方も居られると思いますが、したくてもなかなか出来ない直接支援、私たちが間違いなく届けさせて頂きますので今年もよろしくお願い致します。
沢山の方にご賛同頂いておりますのでいつまでも「3匹の羊」というのもおかしいですが、初心を忘れないため、とご理解頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。
ちなみに、過去のブログはこちら。
https://shokuninshinkaron.com/?search=%BB%B0%C9%A4%A4%CE%CD%D3%A4%CE%CA%AA%B8%EC%A1%A3
そして、(再三になりますが、)少し長い3匹の羊の物語を今年もまた転載しておきます。
****ここから転載****
この話は5年前に厳つい決して優しそうでない顔をした未年生まれのオッサンに起こった実話です。
年がら年中、まだ日も昇らない早朝から起きて、中央卸売り市場で鮮魚のセリに参加、午前中は買い付けた魚を配達するのに市内を走り回り、
夕方からは飲食店のオーナーとして店に立つ。
一体何時寝ているのですか?
と、問うてみると、何も言わずに笑ってました。
少しの時間を見つけては睡眠時間を繋ぎ合わしている様な生活。
そんな働き詰めに働くMさんの、普段に出来る手軽な息抜きというと週末の競馬。
決してたくさんのお金を賭ける訳ではないですが、ギャンブル特有のドキドキ、ハラハラ感を味わうために毎週馬券を買うといいます。
「ギャンブルなんて、負けてアタリマエ、勝ったところでどうせ悪銭、身にはつかないもの、」
と、割り切った楽しみとして続けられているのですが、
(たまに)勝って手にした配当は、誰かが負けた悔しさが染み付いた、悪い念のこもったいわゆるゲンの悪いお金。
なので、ゲン直しの為に、手にした配当の1割程度をいつも「少しでも誰かのためになれば、」と、寄付金の募金箱に入れるように心がけ、三宮のお店の近くのコンビ二のレジ横にある募金箱に入れ続けていたとのコトです。
そんなある日、その募金箱の中身が寄付金として回収され、集計された金額を書いた紙がお礼の言葉と共に張り出されていたのだそうです。
「皆様のご厚意に感謝いたします。おかげさまで募金額は1万●千●百円となっておりました」
のような文面だったのですが、Mさんはその張り紙を見て愕然としました!
「なんや、これは!」
その前の週には万馬券を当てて、1万円札をその募金箱に入れたところだったし、近々の結果も良かったのでこのところ結構な金額をその募金箱に入れた覚えがあったのです。
「そんなアホな!」
こんな、ささやかな募金さえもそれを必要としている人のところに届かずに、賽銭泥棒のような(泥棒そのものか、、)心無い人の小遣いになってしまっているとは、、、
「一体この世の中はどうなってしまっとんや、」
と怒りに震えたというよりも、情けなくなってきたそうです。
そして、調べてみるとこのような話は結構何処にでもある話で、海外への緊急支援物資などが被災者の手元に届かずに役人の利権となってしまうことがある、、というのも常識のようになってしまっているとか、、、
しかし、募金や寄付の団体が信じられなくなったMさんはくさることなく前向きに考えました。
「こんなことやったら、どうせ身につかん悪銭があるねんから、まとめて直接渡したらええんや、」
そして、
「直接渡すんやったら、やっぱりこれからの神戸を背負って立つ、恵まれていない子供達や、
お金もええけど、自分が得意なことですこしぽっちのお金よりももっと価値を上げて喜んでもらえるものにできへんやろか、、」
と、悩みながら、神戸市の窓口に行って、相談を重ねたといいます。
その結果、神戸市内の児童養護施設全てに年末に鍋を囲んで明るい食事をしてもらえたら、との願いをこめて、大量のカニを送ることにしました。
志を同じくする、昭和42年生まれ、未年生まれの友達2匹といっしょに。
震災から17年が経ち、神戸の震災孤児は全員が社会に飛び立つ年齢となりました。
しかし、家庭の事情で親と別れたり、事故、病気などで親をなくした子供達はまだまだたくさんいます。
そして、それらの子供達はやはり厳しく貧しい暮らしを営んでいる現実があります。
その3匹の羊達は全員、普段は自分の生活に必死になって日々を駆け抜けるような暮らしをして、寝る間も無いほど働き続けています。
人様のことをかまっていられる時間もお金も持っているわけではないのです。
たしかに、決して人様よりも裕福とは言えない身分ではありますが、ほんの少し、少しだけの気持ちをカタチにするだけで、そこから広がる喜びは無限大でした。
お礼の手紙の中に入っていた子供達の喜んでいる写真や、手作りの貼り絵つきの感謝の手紙をみて、少しの勇気で行ったこの些細な行動を
「やってよかった。」と心底心から思ったといいます。
その手紙には子供たち自身の字で、ありがとうの言葉と共にとてもいい思い出になったとも書いてありました。
****転載ここまで****
よし、年末やし少しだけでも参加したろ、と、思われた方はコメント欄、メール、電話、なんでもけっこうですので高橋までご連絡ください。
今年もよろしくお願い致します。
『設計、施工の内製化、作り手の地位向上』