新年あけましておめでとうございます。
旧年中はたくさんの方々にお助け頂いたお陰さまで、何とか1年間過ごすことができました。
今年もご指導ご鞭撻の程何卒よろしくお願いいたします。
元日の朝は毎年恒例の大神神社へ家族で初詣。
毎月の御朔日参りのかしこまった版ということで、昨年1年間の感謝を伝えるとともに、今年も1年間ひとつよろしくお頼み申しますと小銭少しばかりで大げさににお願いをしておきました。
今年も多くの参拝客が参られており、皆さん思い思いにお願い事をしておられるでしょうから、いくら神様といえどもすべてに対応するのは大変なんだろうなぁ。なんていらぬ心配をしてしまいました。(笑)
桜井駅に着いた時には小雨が降っていましたが、お参りを済まして山を降りる時には雲が切れ、天からの溢れる様な光がまほろばの里に降り注ぎ、神々しい雰囲気を醸し出しておりました。
それにしても絶妙なタイミング、今回も奈良まで言った甲斐がありました。
元旦の朝ということで、いつになく色々と考え事をしながらお参りをしました。
昨年の振り返りや、今日から始まる新しい一年に思うこと、
年末から読み続けている禅関係の書籍を思い返し、思ったことは、人生は修行の場か否か、ということ、
昨年受けたグランディングのセミナーでも焦点は魂を磨きながら生きるかどうかということでした。
長年、大きな影響を受け続けているスティービン・R・コビー博士の提唱する良い習慣が人生を作って行くという理論、
ベンジャミン・フランクリンの徳目に沿った人生観、
アタリマエのことを真摯に積み重ねてアタリマエに成果を出すという、原理原則に沿ったマーケティング論のジェイ・エイブラハムの卓越の戦略。
年末の旅行で永平寺に立ち寄った時に強烈に感じたことですが、私が今まで大きな影響を受けて、実践に取り入れてきた学びの全てが道元禅師の唱えた只管打坐に集約されているような気がします。
いちおう、曲がりなりにも経営者として年の初めに(稚拙ながらも)いままで心がけてきたことは、目標設定と問題解決です。
それはそれで悪いことでは無いと今でも思っていますが、昨年の大きな気付きは問題解決の前に状態を整える事をしなければ、どんな目標も意味をなさないということでした。
目標を掲げ、緻密な手段を作り込み、一つずつの問題を解決していけばおのずと目標に達成出来る、とロジカルに片付く程世の中は簡単には出来ておらず、モチベーションを高めることを含め、状態を整えるというプロセスが非常に重要だということ。
状態とは即ち、『今』のことであり、未来、将来ではなく、今に焦点を合わせるということです。
禅宗の教えである、ただ坐る、という修行はその修行を通して悟りを開く事を目的とするのではなく、座禅そのものが既に目的だといいます。
修行そのものが目的である。と、
翻って考えると、人生がもし修行の場であるならば、今の人生を生きる事自体が目的となりうる訳で、、
そんな風に考えた瞬間、ふわっと目の前が明るくなった気がしました。
ま、雨が上がって日が射したのかも知れませんが、、(笑)
そもそも、神社にお参りに行きながら、仏教の教えについて考えている時点で随分ちぐはぐな感じの年初めとなりましたが、今年はすこし肩の力を抜いて、『今』がうまく行くように、という事に焦点を当てて一歩ずつを確実に進めるようにしたいと思った次第です。
うまいこといく年になりますように。(笑)