お朔日の週末。
本来ならば、近所にあるいつもの総社にお参りしてから出勤するのが毎月の習わしですが、今朝は朝から晩までギュウギュウに詰め込んだ日程をなんとかこなす為、朝のお参りを割愛、朝礼前から会社を飛び出しました。
朝一番に向かった波止場では、「誰に頼んでいいかわからへん、」とお困りになられていた鉄製の扉が壊れるというトラブルを職人の真似事をして何とか応急措置。
いつもお世話になっているコモリンさんにとても喜んでもらえました。(^_^)
実は私、建具職人としての活動も(たまに)しておりますのでその関係非常に得意です。
その手のことでお困りの際にはいつでもお声掛けを。(笑)
そんなこんなで、神戸市内を所狭しと走り回るいちにちとなりましたが、
いつもしていることをこなしていないと非常に気持ちの悪いもの。
忙しい合間をぬって、 (いつもの総社ではありませんが、)なんとかおついたち参りだけはしておきました。
すっかりきれいになってた柳原のえべっさん。
たまには商売繁盛の神様にお願いするのも悪くないものです。
今月もひとつよろしくおたの申します。と、お願いしたら早速ご利益ありましたー、(笑)
さて、お題目は最近すっかりハマっている禅の考え方について、
おついたちはひと月に1度きり。
如月は1年にいちどきり。
そして、2014年の如月のお朔日は一生涯にいちどきり。
今日この日を逃すと二度と取り返すことができません。
そんなふうに『時』と言うものに対して考えるといちにち、いや一瞬の判断の重要さ、重みを改めて強く思います。
「時は金なり」と使い古された格言ではいますが、自分が持っている時とはすなわち『人生』のこと。
ここで言う金とはいわゆる金銭ではなくて、価値の高い物の例えですから、この格言が示しているのは、一瞬の時間が人生そのものと同等にもなりかねないくらい高い価値がであるという強い示唆なのだと思います。
しかし、一面では自分の人生とは関係なく時は間違いなく確実に流れていきます。
自分の人生でもあり、自分の人生とは関係ないものでもある。
そして、時の流れは1つであるというのは全世界を通しての真理であり、誰もがその真理をつかみ使うことができる。
このところ毎日コツコツ読み進めている正法眼蔵に延々とそのような道元禅師の教えが説かれておりまして、いつの間にか、私の時間に対する考え方が少しずつ変わってきているように思います。
フランクリンコヴィー博士に教えられた緊急性の低い重要なことについての意識が高まっているような気がしています。
結局、自分の持っている「時」と言う概念を深掘りしていくとそこにつきあたるような、、
とにかく、フランクリンコビー博士は非常に東洋的な思考の持ち主だったということなのだと今更ながら思うのです。
というよりは、原理原則に洋の東西は関係なかったということなのかも知れませんが、、
私も非常に大事にしており、一般的によく使われる様になった『一期一会』と言う禅の言葉。
常日頃から意識をしてはいるのですが、残念ながらその意味が本当にわかるようになるまではもう少し時間がかかりそうです。
道元禅師曰く、真理はそれぞれの人の中にそれぞれあるらしいんですけどね。 。 (苦笑)