昨夜遅くに帰国して関空からJRの最終電車を乗り継いで、心斎橋のホテルにチェックインしたのはなんと25時をゆうに回っておりました。。
それから腹が減ったことに気付いてミッテラに寿司を食べに行くという暴挙に出たお陰で朝の目覚めは若干重いめ。。。
が、しかし、朝、外に出てみるとそんなことを吹き飛ばしてくれる気持ちの良い青空が広がって朝の打ち合わせからすっかりリセット、仕事モードに切り替えて、海外出張の帰り道だと言うのに3件の打ち合わせや現場調査をこなしながら帰ってきました。(笑)
バリバリ仕事したなー、とすっかりご満悦で帰社してみるといつもの出張明けの通り、机の上はメモや資料が山積み、、
やっぱり明日からも忙しくなりそうです。(笑)
さて、お題目は出張中も気になって、自宅や会社に電話する度に「元気にしてる?」と訊いてしまってたあいつが来て感じた事。
あいつ、とはこいつね。
(一応、)里親募集中のニャロ、もしくはニャース(どちらも仮称)
もうね、かわいくってしょうがない訳なんですが、何がかわいいのかを自分なりに考えてみました。
顔、カワイイ。
大きさ、カワイイ。
仕草、カワイイ。
声、カワイイ。
やる事なすこと、カワイイ。
と言う訳で、要するに存在自体がとにかく『カワイイ』と感じちゃう訳です。(笑)
いっちゃったら悪いんですが、すっかり成犬となったすみれのアイドル犬チャックもカワイイのですが、こんなにはかわいくないっていうか、、カワイイの質が少し違う気がします。
カワイイと言うのは理屈ではなく、感じる事と言う訳ですが、この『感じる』という感覚にはモチロン個人差がある訳です。
50歳を間近に控えたおっさんが、野太い声で『カワイイーー!』を連発するのもどうかと思いますが、子供の頃に比べて、ずいぶんその感覚って鈍っていたと思うのです。
それが、ニャロ(仮称)がやって来て、忘れかけていた『カワイイ』と言う感覚を思い出して、カワイイものに対して敏感になった、と言うのが最近の私の中で起こった大きな変化でして、、
この感覚のお陰で、「くっだらねー」と思っていたAKB48の総選挙を文句も言わず見れたり、娘が「ヤバい!カワイイ!」というものに対して、「ほんまやな、」と(求められてもいない)理解を示したりも出来ちゃう様になりました。
ちなみに、子供がいたずら半分でお父さんのライターにシールを張ったりしたのを持ってる方を見かけると、「お、それカワイイね、」と、褒めてみたり、街中を歩いていても、ポスターや看板を見て、カワイイものとカワイクないものを判断してしまったり出来る様になりました。(笑)
こんなのは、カワイイ類。
カワイイについての感覚を研ぎ澄ました成果はついでに、『ヤバい』という意味不明の枕詞的な使い方をする形容詞にたいしても、カワイイとセットで使う事が感覚で身に付いたお陰で、違和感無く聞ける様になりました。
世の中の若い女性が頻繁に使う、『ヤバい!』『カワイイ』とは若干、視点や価値観が違うかとは思いますが、『感じる』というチャンネルが増えた事は非常に大きな意味があるのではないかと思っている次第です。
ま、まだこれと言って成果みたいなものはありませんが、『カワイイ』と思った時点で心の中がふわっと弛むのは確かな様で、幸せの定義が、状態ではなくて『幸せと感じる』(ことが出来る)心の在り方だと言うことを考えると幸せを感じる力が増したということは幸せだと感じる人生に一歩近づいたように思います。
ま、要するにこの瞬間は間違いなく幸せです。(笑)
世界中の誰もが求めてやまない『幸せ』
それは決して持っているお金の額や良い暮らし、一時の快楽等の状態に存在するのではなく、青い鳥の寓話の様にすぐ近くにあるものに幸せを『感じること』ができる心かどうかだと思います。
幸せになるには幸せを感じる力をつけること。
(オッサンには少しばかりハードルは高いかも知れませんが、)幸せになる手始めに、カワイイものに気付くことから始めて見るのは如何でしょうか。(笑)
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