『天上天下唯我独尊』への誤解。

11月26日  曇のち雨

六甲山系紅葉
六甲山系紅葉

すみれ事務所は定休日ですが私は朝からガッツリと仕事三昧。

年末に向けてまだまだ店舗改装の問い合わせをいただいており、希望通りの引き渡しができるか、できないかの難しい判断を含めてあちこちと打ち合わせに走りまわりました。

塗装職人川上さん
塗装職人川上さん

店舗工事のお客様はほとんどが事業主もしくは経営幹部の方達です。
ああしたい、こうしたいと言う要望の言葉はそれぞれ皆さん独自の戦略や戦術の具現化に他ならず、仕事をさせていただきながら、同じ経営者として学ばせていただくことが非常にたくさんあります。

「おいおい、OJTかっ、」

と言う感じですが、(笑)日々の業務の中で頂く学びをしっかりと蓄積して次々とオファーを頂く新しい案件に生かせるようにしたいものです。

今日も『強みを活かす』『弱みを消し去る』ことについてたくさんのお勉強をさせて頂きました。

サムライ大工@三宮
サムライ大工@三宮

さてお題目はこのところニュースで話題になっているこの像のこと。

誕生仏
誕生仏

昨日の天上寺でお聞きした法話の中にも登場しておりました、例の韓国が窃盗団を組んで来て、と言う話です。

お釈迦様が生まれたときの姿を現した『誕生仏』と言うらしいですが、この像が示すのはお釈迦様が生まれたときに口にした

「天上天下唯我独尊」

と言う言葉を表現しているとのことです。

なるほど、右手は天を指し、左手は地面を指しています。

昨日の和尚様のお話によると、

「改めてその言葉の意味をひもとくと、人間誰しもただ1人しか同じ人はいなくそれはすべからく尊ぶべきものである」

という意味だそうです。

私は、恥ずかしながら長い間、大きな勘違いをしておりました。

お釈迦様が生まれたときに

「我こそが天上天下にただ1人卓越した存在である」

といったと思っておりました、何人たりとも私を越えられない超越した存在である、といったのだったと、、

ちなみに、ネットで調べてみると、辞書と言われるサイトでも私と同じ解釈を堂々と書いているものも散見されます。

Wikipediaではこんな解釈、

意義
元来、「天上天下唯我独尊」は、釈迦が言ったのではない。釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばし)が誕生した際に言った[5]とされる。
しかしそれが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて、のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったものである[6]。
『大唐西域記』(646年成立)の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、
天上天下唯我独尊

今茲而往生分已尽

という一節が記されている。現代語に訳すと「全世界で私が一番尊い」という意味である。
「天上天下唯我独尊」の意味を「全世界で私たち一人一人の人間が一番尊い」と解釈する説もあるが、経典上の根拠が全く無い説である。釈迦の誕生を伝える仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、『佛説太子瑞應本起経』卷上などがあるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、
天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之

とあり、欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生はすべて苦に悩んでいる。私はこの苦の衆生を安んずるために誕生したのだから、尊いのであると言う。ところが残存するパーリ仏典はやはり大乗仏教の影響を受けており、『大唐西域記』と同じように、釈迦自身の解脱という点で尊いとしている。この利他の面で尊いとするのか、解脱という利自の面で尊いとするのかに、時代による釈迦観の違いが現れている。
さらに、「天上天下」という言葉で、仏教の立場を説いているという解釈もある[要出典]。「天上」とは、世界の一切の事象をすべて神の意思であるとする、当時の「尊有論」の立場とし、「天下」を、一切の事象は偶然によって支配されていると考える「偶然論」の立場と説明する[要出典]。この両極端を否定して、釈迦は真実の姿は縁起によって現象するのであると自覚したから尊いのであると説明する。

故事ことわざ辞典ではこちら、

天上天下唯我独尊
【読み】 てんじょうてんげゆいがどくそん
【意味】 天上天下唯我独尊とは、この世に個として存在する「我」より尊い存在はないということ。人間の尊厳をあらわしている言葉だが、「唯我独尊」はこの世に自分より優れたものなどないという思い上がりの意味でも使う。

浄土真宗の親鸞会のサイトではこのように書かれています。

「唯我独尊」の「我」というのは、釈尊だけのことをおっしゃったのではなく、我々、人間ということなのです。人間なら誰しも、釈尊と同じように「天上天下 唯我独尊」なのであり、そういえるのです。

 では、「独尊」とは、どういうことかといいますと、たった一つの尊い使命ということで、自分一人が尊いということではありません。

 ゆえに、「天上天下 唯我独尊」ということは、天上・天下広しといえども、我々人間にしか果たせない、たった一つの聖なる目的があって、生まれてきたのであるということです。

世の中の事象は全てそれを見る人のパラダイムによって世界観が変わるものなので、様々な解釈があるのは致し方ないと思いますが、少なくとも私はこれから、

『天は人の下に人を作らず、人の上に人を作らず』

という福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭にある言葉と通じて、人の多様性を認め、尊び、重んじる戒めの言葉として覚えておきたいと思います。

皆がみな、天上天下唯我独尊、って素晴らしい!

ちねみに、お釈迦様は摩耶夫人の右脇から生まれたとされておりまして、神戸の摩耶山天上寺は日本で唯一その摩耶夫人を祀っているお寺だとのことでした。

ご住職の説法も楽しいし、神戸の街を一望出来る眺望は見応え十分、そして安産祈願には抜群の効果効能、いや、ご利益があるとの事ですので、これから出産を迎えられると言う方が身近におられたら、是非お参りしてみてくださいね。

知られざる、神戸の名所です。

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