1.17 晴
今日は出勤時間を少しだけ遅らせて、1週間に一度の朝ラン。
いつもは一人っきりで黙々と走っているのですが、今朝は珍しく、プチ練習会と称して、クリナップ社のセールス担当、岡本さんにお願いして一緒に走ってもらいました。
ペースメーカーとしてタイムのチェックをしっかりしてもらいながら、フォームや呼吸など普段これで良いのかしら?と思いながら我流で走っているのを確認しつつのおしゃべりしながらのラン、楽しかったです。
おかげさまで、予定通り、6.94miを1時間6分のタイムで気持よく走ることが出来ました。
Oさん、ありがとうございました。
引き続きご指導の程よろしくお願いします。(笑)
コースはいつものおらが村の国宝、太山寺。
いつもは門前で手を合わせてすぐに復路を走り出すのですが、今日は1.17、震災から20年の特別な日ということで、本堂では特別法要が営まれるらしく、「拝観料は要らないので、お参りしていってくださいね。」とお声掛けを頂いたので久しぶりに門をくぐってご本尊さんの近くに参って手を合わせてきました。
あれから20年。
早かったような、人生が大きく変わる様々な出来事が多くあったような、、
人生に起こるあらゆる出来事は、『人間万事塞翁が馬』と例えられる様に、良かった、悪かった、と単純に割り切れるものではありませんが、20年前に起こったあの日以来、大きな悲しみがあったこと、そしてその悲しみは今も消え去ることが無いのはまぎれも無い事実だと思っています。
TVでは朝から震災20周年の特番が組まれ、当時の映像が絶え間なく流されていました。
そんな中、たまたま目にしたのはすみれのクライアント先でもある長田商店街の洋服店店主のTさん。
神戸市が震災後急いで計画を実行に移した新長田地区の再開発のカタチだけの復興を拙速に成し遂げた後の、住民、商店街の店主達の苦悩を厳しい表情で訴えられておりました。
神戸に住む人達は知っている、もしくは薄々気付いている震災後に新たに派生した問題は今もなおたくさんあり、多くの人々にとって悲しみは今も大きくのしかかっています。
あれから20年、街はすっかりきれいになり、当時瓦礫の山と焼け野原だった神戸の面影は今はもう見ることは無くなりましたが、『真の復興』が出来たかどうかは甚だ疑問が残ります。
現在も神戸市のトップはその当時に住民の反対を押し切って再開発を推し進めた市長の流れを汲んだ人物です。
市政の見直しを含めて、私たち神戸市民がもう少し意識を変えることが必要だと、改めて思った次第です。
とにかく、今日は震災で被害に遭われた皆様のご冥福を心からお祈り致します。
最後に、すみれのHPで初めて訪れて頂いた方に読んで下さいとご案内している私たちの創業時の想いを再度ここに備忘録の意味を含めて転送しておきます。
少し長くなってしまいますが、震災とは切っても切れない私たちの想いと責任を綴っています。
******ここから転載*******
すみれ建築工房とご縁をいただいたあなた様との約束
はじめまして、すみれ建築工房の代表取締役 高橋剛志と申します。初めてのご挨拶として自己紹介がてら、少しだけお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか。
私は生まれも育ちも、今までの人生のほとんどをこの地で過ごして来た、根っからの神戸っ子です。
その性分と言いますか、特徴はと言いますと、片田舎の小都市であるにも拘らず、古くから港町として栄えて新しいもの、珍しいものを早くから取り入れてきたことの名残りが街の随所に見られるように、異文化を柔軟に受け入れることだと思っております。
目新しいものにはなんでも興味を持って、すぐに飛びつく、と言ったあまり良くないような風にも言われますが、本当に価値があるものか?使えるものなのか?広く受け入れられて定着するものなのか?と言った、本質に目を向けて判断するバランス感覚は知らず知らずのうちに養われてきた様に思います。
関西に在って、大阪のような経済の中心でもなく、京都のような歴史の中心、表舞台だったような風格もなく、港が栄えたことによって幾ばくかの産業をもたらされただけの小さな町はとても窮屈な感じがして、若い頃はあまり魅力的には感じずにこの地から離れて暮らすことを選んだこともありました。しかし、離れてみると、住んでいた時には感じなかった良さが見えてくるもので、神戸の小さい町特有の仲間意識や、海と山がいつもそばにあり気軽に自然に親しめるロケーションが実は好きでたまらないということに気付き、何年も経たずにこの神戸の地に舞い戻ってくることになりました。
神戸に帰ってきてからの私は様々な仕事につきました。
そして、学歴も、資金も、コネクションも持たない自分が将来を切り開いていく方法を懸命に考えました。
そして、たどり着いたのは、ありきたりですがやはり手に職をつけるということでした。
それからは大工の見習いとして小さな工務店に働きながら、将来の独立を夢みて独学で建築の勉強をする日々が続き、数年後には建築士の資格を取得することができました。
そして、奇しくもその翌年に、あの大震災が起こったのです。
その時、私も被災者の中の一人でした。水道もガスも一月以上復旧せずに、神戸市外の親戚の家までお風呂を使わせてもらいに通いました。
母親が住んでいた団地は玄関ドアの開閉が出来ないほどの損傷を受けて、全壊の判定を受けましたし、震災の当日に見舞いに行った長田地区の友達や知り合いの家や事務所は瓦礫の山と化していました。
あの地震でたくさんの方が尊い命を亡くされ、神戸の経済が壊滅的な打撃を受けたのはご存知の通りです。
実は、震災前の神戸の建築業界は構造不況とも言える大不況の真っ只中にありました、小さな工務店などは息も絶え絶えな状態のところが本当に沢山ありました。
それがあの震災を期に、捌き切れないほどの仕事が突然舞い込んできて、神戸の建築に携わる者全員が息を吹き返したのもまた事実なのです。
まずは仮設住宅の建設、次には膨大な数の倒壊した家屋の解体撤去、そして街が少し落ち着くと資金がある人は我先にと新しい家を建てたり被害にあった部分を直したりしました。
私はその頃はまだ大工職人として工務店に勤めておりましたので、休みも無くがむしゃらに働くだけだったのですが、今考えると、そんな中でより忙しくしている会社に転職をしたりもして、独立への基礎を固めた時期でもあったようです。
私の人生もあの地震で大きく変わったのは否定することは出来ません。
『すみれ建築工房は、阪神・淡路大震災がきっかけで出来た工務店である。』というのもまた事実なのです。
私たちはとても小さな会社ではありますが、その誕生のきっかけの底辺に神戸の人たちの大きな悲しみがある以上、ほんのちっぽけなことでも、何かお返しをしなければならないと考えます。
そして、その悲しみの原因は天災だけではなかったのです。
震災後、私たちは瓦礫の山になった住宅を押し分けるようにして家を建てていきましたが、倒壊しなかった家というのは特別な構造の住宅では決してありませんでした。
現在では震災の教訓を生かして建築基準法は改正され、検査での技術的な水準は大きな進歩をしましたが、その当時でも、昭和56年に制定された新耐震基準と言うものがありました。
実際、倒壊した建物のほとんどがその基準を満たしていなかったのですが、それはただ、築年数が古かったというだけの理由ではなく、構造的な根拠を持たない建築業者や大工が安易にリフォーム・増改築を行ったことに起因して壊れてしまった建物も沢山あったのです。
それは完全に旧態依然の悪しき慣習にどっぷりと浸かった建築業者による人災だったのです。
震災の復興事業は誰が想像したよりも早く進みました。
しかし、それは表面上だけで、被害が大きかった地域に少し入ると基礎だけが残されて、更地にもならずに放置されたままになっている土地が未だ随所に見られます。
それと同じように日本全国から建築業者が集まってドサクサの中で行われていた建築の震災復旧では、実は表面上だけの繕いに終始して、本質的な問題解決をなされないままになっている建物もいまだに多くあるようです。
震災前までの長年の間、神戸の産業の中心だった港湾関係の活気は震災前の面影には戻りません。
真の震災復興と言うのはありえない、と言っていいほどあの地震は取り返しのつかないほどの深い爪あとを神戸に残して行きました。
そんな表面的な震災復興が終ったタイミングで創業した私たちは自分たちの存在意義を考えます。
建物の作り手として、設計者として、建設業者として、人として、何のために存在しているのか、何のために存在を許されているのか、その答えを探すことが、神戸で震災後に生まれた建築業者としての事業そのものであると考えております。
- 私たちは、お客様の命をお預かりしていることを、認識しています。
- 私たちは、お客様の生活の基盤を作るお手伝いをしていることを理解しています。
- 私たちは、お客様の楽しく、明るい、幸せな家庭を築くために神戸の地で建築の仕事を続けていきます。
小さな町神戸で、私をはじめ、すみれ建築工房のスタッフ一同は、生涯をかけて、私たちに関わって頂く、すべての方々の楽しく心地よい暮らしと、安心と安全の住まい、そして明るい未来に向かえる生活の基盤つくりのお手伝いに情熱を傾けることを決意すると共に、固く約束致します。
この約束を守ること、この約束を継続し続けることが私たちの存在意義となって行くのだと思います。そして、この約束を守るために、私たちは考えうること全てに取り組んでいきます。
まずは、はじめの接客窓口からご希望を真摯に伺うヒアリング。
そして設計、プランニング、積算、見積りを一貫して行える設計部門の内製化と、スキルの向上への絶え間ない努力。
次に、思いをカタチに具体化する、建築現場での作業を自社の社員で行う内製化と、技術基準の平準化、そして厳正な社内検査による品質の確保。
工事が終わってからも、普段からお住まいに関するあらゆる問題点をいち早く解消出来る様に、常時専任の担当者が半年に一度以上の頻度で定期的に無料メンテナンスに巡回する仕組みも構築してきました。
私たちはとてもちっぽけな会社ではありますが、ものづくりを自らの手で行うことにより、私たちと関わり合いを頂く皆様に安心・安全・ココチよい、を確実にお渡しすべく、固い志をもってこの神戸の地にゆっくりと、そしてじっくりと根を張ってきました。
あなたさまが私の思いを聞いて下さったこと、そして、このような出会いがあったことに心から感謝致します。
ありがとうございます、そして今度は私たちにあなたさまの思いを是非お聞かせください。
ホンモノの時代がもうすぐきっとやって来ます!
********転載ここまで********
ちなみに私にとっての20年と言う歳月は結婚してからの時間でもあります。
実は、今年になってから20年前に妻にもらった指輪を20年ぶりに改めて薬指にはめています。
20年という年月をなんとか乗り切ったことの感謝と、一つの区切りが終わり、新しい20年に向かって歩みを進めていきたいと願いを込めて。
誰にとってもいい20年になります様に、