振り子の法則の要諦。

8月3日晴れ

朝の筋トレとラジオ体操、朝礼後の掃除でデスクに向かう頃には既にシャツがびっしょり。

今日も暑い1日になりそうです。

しかも、さすがに月曜日、出社と同時に電話がジャンジャン鳴って予定を空けていたにもかかわらず、一瞬で忙しい1日になりました。

ほんに、ありがたいことです(笑)

墨出し
墨出し

 

世の中は不合理で矛盾だらけ、、

さて、お題目です、

最近とみに思うんです。

少し前まで、この世の中はとても複雑怪奇で、矛盾に満ちていると思っていました。

しかし、実はそんなことなく、案外シンプルなのじゃないか、と。

矛盾とは読んで字の如く、何でも貫く矛と何も通さない盾との対決を指しており、結論の出ないパラドックスに入り込む様を指していますが、全ての物事は表裏一体、陰陽合一と考えると、矛盾ってそもそもあって当たり前の事なのではないのか、と。

全てのものは表裏一体だと受け入れる事で、矛盾も、「はいはい、そうですね、そんなこともありますよね。」とあまり違和感を持たず、目くじら立てる事も無く受け入れられる様になるような、

この世の中は矛盾に満ちている不合理な世界ではなく、陰陽合一のまとまった世界なんだと。

そんな認識をを分かりやすく言い表したものが、『振り子の法則』だと思うのですが、ここでも少し引っ掛かっていたのが正直なところでして、、

悪い事があれば、その分いい事がやって来る。その逆もまた然り。

って、法則というからには確かにそうなのでしょうが、これをそのままなんの疑問も持たずに丸飲みするにはずいぶんハードルが高い気がしていました。

辛く、悲しい事が起こった、よっしゃー!ってほんまかいな、と。(笑)
苦しく、辛い出来事が起こった後、ずいぶん時間が経ってから人生を俯瞰して振り返ってみると、確かに振り子の法則が働いていると思えるのですが、なるほど、と思えるようになったのはゴクゴク最近になってのことで、以前は正直、全く納得出来ていませんでした。

 

振り子とヘーゲルと引き寄せの共通点

何が違うのか、何が変わったのか、と考えた時にふと頭に思い浮かんだのは(最近お気に入りの)ヘーゲルの弁証法を表した螺旋です。
上から見ると同じところをグルグル回っていて何の進歩も発展も無い様に見えて、見方を変えて側面から見てみると少しずつ高みに近づいているというアレです。

なるほど、と思いました。

螺旋は中心に見えない軸があり、その軸を頼りに回転しているから同じところに戻りつつ、進歩発展を繰り返す事が出来る訳で、軸が無ければ右に左に蛇行して、上に上がるどころか、下降線を辿ったりもしてしまいます。

振り子の法則も同じで、振り子を支える基点が右に左に振れていると、振り子は思い通りに戻って来れません。

軸を持つ、基点を固める事に意識をして人生にぶれない方向性を持ってこその、弁証法であり、振り子の法則であると言うことなのだと気がつきました。

そう考えると、一時非常に話題になった『引き寄せの法則』も理屈は同じですね。

ただ、何もせずにぼんやりと願うだけで幸せが勝手にやって来るのではなく、自分自信に良いものを惹き付ける重力を身につけなければならないという事。
中心軸、基点、重力とそれらは切り口は違いますがどれも同じモノを指しているように思います。

要するに、魂を磨く事で出現する『人間力』の大きさ、重さではないのかな、と。

 

 

人生は魂を磨く道場だ!

先達達が、『人生は修行』と言ってた意味が50歳が近づいてきたこの年になってやっと分かってきた気がします。
魂を磨く場が今この瞬間の連続だと認識する事で、振り子の法則がストンと腹に落ちた気がします。
目先の損得に流されず、正しい事を行なう。
ヒトが嫌がる事を自ら買って出る。
ヒトの為に身を粉にする。
ヒトの成功を心から願い手伝う。
自分が出来る範囲で世の中の為に尽くす。

やればやる程自分としては大変ですが、しかし、魂は確実に磨かれ、人生をいい方向に導いてくれる。

そんな法則、あると思います。
昨夜も、振り子の法則を逆張りで使う娘(苦笑)に対して夫婦で諭す場面がありました。

私自身もっと若い時に、これがしっかり理解できていればよかったのに、と思うとともに娘や若い人たちに何とかうまく伝えられればいいのになと思う今日この頃です。(苦笑)

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