慟哭。

8月17日曇天

今日は私の人生にとって忘れられない一日となりました。

 

こんな日でも、ブログを更新しないといけないのは非常に厄介で辛くもありますが、自分との約束なので一応、書いておく事とします。

朝出社して、メールボックスを開けていつものようにEメールをチェックしてみると、その中に

「自分に自信を持つほど他人に興味がなくなり学ばなくなる。」

と言うような言葉が書いてありました。

その時は、さほど気にも止めず読み流していたのですが後で思いかえすごとに、胸に突き刺さり、えぐり取られるような気分になりました。

午前中、事務所の片付けをしてから昼から姫路の山奥にある宍粟の工務店さんを訪問しました。

この秋から開講する「職人起業塾」の申し込みをいただいた、唯一京阪神木造住宅協議会の中で、大工の正規雇用を行っておられる工務店さんに細かな内容のご説明に上がりました。

職人の意識改革(経営者意識への転換)がこれから、工務店が自立、継続的に生きていく道である、と言う私の持論を大先輩である社長に恥ずかしげくもなく披露して、一緒に職人の社会的地位の向上への取り組みをさせてください!とお願いをしたのですが、実は、伺った先は私たちには足元にも及ばないほど高い技術力を持ち、卓越したポジショニングを持っておられました。

逆に、勉強させていただかないことが山ほどあるにもかかわらず、お手伝いをさせてくださいと申し出た自分が恥ずかしくってなりませんでした。

とは言え、高い技術力を持って、職人を懸命に育てているからと言って盤石の経営状態にあるとは限りませんし、逆に、どちらかと言うと職人にしっかりと社会保障を付ける会社の方が経営状態が厳しいのが現状です。

「職人は、もっと社会的地位の向上せなあかん。」

何十年にもわたり、大工を社員として、厚生年金をかけ続けた社長の言葉は非常に重く、心に重く響きました。

 

 

「これから、難しい仕事をいろいろ教えてください」とお願いしながら訪問先の工務店さんを後にした後は一路葬儀場へ。

夕方から、スタッフの大工の長男くんが盆休みに急逝して、そのお通夜に参列させていただきました。

自分で決めた習慣というのは、非常に厄介なもので、こんな日にもブログの更新をしなければならないのは正直、負担以外の何物でもありません。

できれば、静かに黙っておきたいし、書くことも本来ありませんが、これも一応、私の仕事でもありますし、自分の約束でもありますので一応、今日の辛い日の事を書き残してしておきます。

社員さんの長男くんは、なんでも、夏風邪をこじらせてると思っていて、容体が急変して病院に行ったら手遅れだったと言うありえない話でした。

冷静に考えると、誰の責任でもないと思います。

ただ、今日の朝のメルマガにあったように、自分の経験則で正しいと思うことを声高々に言うことが周りの人にに要らぬ影響与えるのではないか、ということが朝からずっと引っかかってます。

私は、20年来医師が絶対に治らないといった肝臓の疾患を運動をすることによって直しました。
医者になどかからなくても自分の身体は自分の意志と努力で治せると思っています。

また、周りの同業者や、取引先の銀行が職人のの正規雇用など利益を圧迫するばかりだ、と言う言葉に逆らって今まで社員大工の体制を作ってきました。

しかし、10年経った今、社員の職人たちは、主体性を持って会社の理念の実現を果たしながら次の仕事をしっかりととってきてくれています。

正直なところ、どちらも自分の中では『確信』を得ており、できればロールモデルとして広く世間に知ってもらいたいと思っています。

しかし、午前中に伺った工務店さんは、私たちよりもずっとすばらしい技術力を持っておられました。

実際、お手伝いするのもおこがましい、と言うのが訪問した私の感想です。

そして、若くしてその生涯を閉じてしまった社員のご子息は、たられば論になりますが、一日早く医者にかかっていればその一命を取り止めて、単なる夏風邪をひいたと言う笑い話になっていたかもしれません。

ここ数年、医療なんか必要ないと、内外を問わずいい続けた私の言葉が、もし少しでも影響して、安易に医者にかかるのはよくないと親の気持ちの片隅にあったとすれば、私の責任は計りしれないほど重い物となります。

今となれば、自分の薄っぺらな経験だけでさもそれが真実のように声を大にしていい続けたことを後悔せずには居られません。

本当に申し訳ないことをしていたのではないか?と言う自分に対する疑念でいっぱいです。

自分の信念、志、価値観、それらが及ぼす良くも悪しきもある影響力について今一度考え直さねばならないと改めて考え直させられる日となりました。

多分、そのスタッフは私を責める事はないと思います。責めるのは自分ばかりではないでしょうか、だからなおのこと、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれず、我が未熟さを胸に刻み込み、今一度自分のあり方を見つめ直さなければと思います。

今は、とにかく、大地くんのご冥福を心からお祈りするとともに、同じような悲しみを二度と誰にも味わってもらいたくないと心より願います。

 

大地くん、安らかに眠ってください。

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