9月28日 晴れ
一週間の始まりは静岡からスタート。
昨日の日曜日は午前中はいつもの様にランニング&チャリンコでトレーニング。気持ちのいい晴天の下、汗を流して頭と身体をリフレッシュさせました。
私たちの仕事は所謂、『身体が資本!』です。
毎週のトレーニングは、いい仕事を行なうには健康が何よりも重要と考えての習慣ではありますが、今のこの季節、優しい陽射しと爽やかな風の中、身体を動かすのは本当に気持ちがいいモノです。(笑)
しかし、いい季節に乗じてついつい、やり過ぎてしまい過ぎる感も有りまして、昨日もつい予定の時間をオーバー、急いでシャワーを浴びて慌てて駅へと飛び出しました。
夕方からは東京に。
往復8時間の時間をかけて、2時間だけの講演を聴きに向かいました。
この度、私がどうしても聴きたかったのは、宮大工の頂点と言われて久しい『鵤工舎』の小川三夫棟梁の講演会です。法隆寺に鬼がいると言われた伝説の宮大工 西岡常一棟梁の内弟子として修行を積まれ、国宝である飛鳥時代の日本の古代建築、世界最古の木造建築の修復、再建に長年携われてこられました。
独立後、鵤工舎を立ち上げ、独自の徒弟制度で数多くの弟子を育て、今の時代、そして次の時代を担う宮大工を輩出されています。
小川棟梁のお話は、朴訥ながらおだやか、諭すような口調の中に有って、『真理』『本質』等、ここぞという物事については研ぎ澄まされた刃物の様にスパッと言い切られ、そこに本物の職人が持つ凄みのようなものを感じさせられました。
自分自身への備忘録を兼ねて、小川棟梁が話された内容のメモを語録(書き残して置きたい事が多すぎて文章にならない。苦笑)として残しておきたいと思います。
宮大工への道。
東京オリンピックの年、初めて法隆寺を見て建物の持つ力、凄さに魅了され大工への道を発心、大工になると親に言うと、「今の時代、大工になるなんて、河を遡るようなものだ」と反対されたとのこと。
それでも諦めずに、18歳で西岡常一棟梁の元を訪ね、弟子になりたいと宮大工への門を叩いたら、西岡棟梁には、「こんな仕事はするな、嫁もとれず、仕事も無い」と断られた。
それでも宮大工への夢を諦め切れなかった小川少年は文部省から紹介してもらい、全国を転々としながら修行を重ねられ、長野、次は島根県、43年には兵庫県豊岡市の鷹取神社の改修にも来られていたらしく、その頃、はじめて西岡棟梁を訪ねてから4年経ってやっと西岡棟梁から手紙が来て、奈良に呼んでもらえて内弟子となる。
修行
西岡棟梁の元に行って、必死で研ぎ上げた鑿を見せたら、使いもんにならん、とダメ出し、一年間研ぎものだけをすることになる。その後、納屋の掃除を許されて、そこにある西岡棟梁の道具を見る事が出来る様になった事で実質の弟子入りが叶う。
その後は、1年間、新聞テレビラジオ等に一切触れない、首までどっぷりと修行に浸かり切って全く自分の時間が無い暮らしを続けられ、そんな環境を経て初めて自分の癖が分かるものだ、と思ったとのこと。そして、修行とは自分の一切の癖を捨て、親方を外から見るのではなく、同じ見方になる様に親方の分身の様に内から物事を見る事だと。
極端に言うと、親方が「今日はからすが白いなー」と言ったら、同じ様に見えねばならない。
鵤工舎の人づくり
52年に鵤工舎を設立、独自の徒弟制度による宮大工の育成を始められました。
そこでのきまりというか掟というと、
新弟子の仕事は、飯炊きと掃除
メシを炊かせるのはダンドリと思いやりを育てるため。
掃除は性格、仕事に対する姿勢が分かる。
整理整頓は頭の中、30人前の食事を30分で作らせることで段取りを頭の中で整理するとレーニンになる。
教えない。
教える事は甘えに繋がる。自分で見て、感じ取って学ばなければ本物にはなれない。
やりたくてしょうがなくなってからやらす、喜んでいつまでもやる様になる。
鉋を貸すときは一番いい鉋を貸す、最高の切れ味を体感する事で刃物の研ぎ方が変わる
無駄をさせ、無駄に気付かせ、無駄を無くす。
先走って教えない、事を急いては為損じる
教えるのではなく、学ぶ雰囲気、素直な心
中途半端な学びは感じる心を失う危険がもある。
優しさと思いやりを培う為には集団生活の大部屋が必要。
人は育てるのではなく、育つ。
日本中の大工を目指す若者が一度は行ってみようかと憧れる、鵤工舎も3年前まで300人来ていた新卒の応募が今は30人になったとのことです。
その中で採用するのは2〜3人とのことですが、その基準は厳しい修行を修めれるかどうかの見極めで、早稲田卒を不採用にして、中学卒を採用する事もあるとか。
小川棟梁は、色んな才能があり、人生の選択肢がある者はそれを振り切るのが辛いだろうし、棟梁としてもせっかく得て来た知識をゼロに戻させるのが辛い、しかし、中途半端な知識は宮大工になるにはなんの意味もなく、どっぷりと首まで修行に浸れるには他の才能が無い方が良いとのことでした。
私の子供時代のような学校嫌いの子供に夢を与えてくれる言葉でした。(笑)
木について
世界に誇る古代大規模木造建築の要は木の使い方、その木に対する考え方を披露頂きました。
自然に逆らうから病気になる。
土の肥えている土地には千年の木は育たない、岩場に根を張って長い時間かけて育った木が長持ちする。
西岡棟梁の口癖は「千年の木は千年持たせろ」だった、古代飛鳥時代の工匠も知っていた。
東大寺の梁に使われている松は霧島から10万人の人力を使った記録が残っている。
乾燥の期間をしっかりと取る事が大事、暴れる木は暴れさせてから使うから建ててから狂わない。
あて(癖)の強い木も使い様によっては役に立つ、曲がろうとする力を利用する事も出来る。
大きな木は押さえ込めない、あるがままの姿を知り、活かす事が大木を使う社寺建築の要。
木を買わず、山を買えと言う様に、山に立っていた姿を生かして木を使うこと。
大工仕事について
大工仕事についての熱い想いは迫力満点、鳥肌が立ちっぱなしでした。
室町時代の工具の発達で構造の美から装飾の美へ、しかし、工具が無い時代の古代建築の美しさも目の錯覚を修正してまで細部に拘っていた。
職人は手道具を使い切ること、切れる刃物を持てば手を抜くような仕事は絶対に無い。
工作技術は完成するが、執念でのモノづくりは後悔が残る、その後悔が更なる技術向上への執着を生む。
仕事は身体で覚えなければならない、修行で厳しい日常生活を送らせることで、身体の記憶、文字や数字ではない技術が乗り移る。
今出来る事を精一杯やるのは、後の世代の人に見られても笑われないような技術を建物に残す事。
『本物』とはいつの時代も変わる事無く人の心を打つもの。
西岡棟梁が直接教えてくれたのは鉋屑一枚だけだった。同じ鉋屑を出す事が修行そのもの。
大工は道具の手入れを怠ってはならず、切れる刃物は嘘をつかない。
西岡棟梁の言葉、「煎じて煎じて煎じ詰めたら最後は勘」
寸法で組まず、木の癖を読み、木の癖で組め。
図面も道具も無い時代に奈良の都を60年で作り上げた、
不揃いの木を使うには芯を通した仕事をすればいい。
芯だけ通せばばらばらの材もまっすぐな建物として立つ。
哲学と伝承。
後半の塩野米松先生との対談で、小川棟梁の口から出た語録をまとめてみました。
技は言葉では伝えられない、技は身体についていて、延々と長い修行をして親方の真似を繰り返すしか伝え遺す方法はない。
小さな寸法へのこだわりの概念が無駄な時間を使う、そんなことに拘っていては大きな塔は建てれない。
与えられた図面通りに作ればいいという概念では建物は何年も持たない。
大工は大股で歩いてはいけない、生き方、在り方からどっぷりと大工であるべきだ。
弟子を褒めるのはその場で褒めず、1年も2年も経ったあとで褒める。
言葉にすればせいぜい海を洗面器程度にしか表現が出来ない。修行を積み、身体で技術を写し取れば、海は海。
技術は無駄なようだが、長い時間をかけて染み込ますもの
不揃いの人とモノを使って建てる方が良いものが出来る。大工は常に100点満点しか無い仕事をしなければならないが、芯があれば、必ずそれが出来る。
まとめ
とりとめの無い箇条書きになってしまい、なんの事か分からない部分も多いかと思います。本来はもう少し内容を絞って一つのテーマについて深く、詳しく考察を重ねるべきとは思いますが、講演を聴きながら書き残していたメモの一言一句が重すぎて、消すところを見いだせませんでした。
『大工』という生き方から見ると、私は中途半端な叩き大工で、小川棟梁と比べるのもおこがましのは十二分に理解しておりますが、それでも一応、大工で身を立てる事を決意してこの業界に飛び込んで来た一人でもあります。
そして、それはすみれの工務メンバー全員に言える事。
もう一度、生き方としての『大工の本分』をスタッフと一緒に目指し、極める事は無いですが少しでも近づいて行ける様に精進を重ねたいと思います。
今回の小川棟梁の講演会は、これからの私の人生に大きな糧を下さったと思います。
小川棟梁、塩野先生、主催者様、そしてご紹介頂いた方、本当に素晴らしいご縁をありがとうございました。心より感謝致します。
心謝。
おまけ、中秋節快楽!
王君と張君も中国で同じ月を愛でているのでしょう。
無事に帰ったかな〜。(^ ^)