不都合かつ冷厳な人生の事実に目を向ける。

1月4日 快晴

昨日に引き続きポカポカと暖かな小春日和。
お正月休みの最終日は、いつもの同級生3人と少し先輩の仲良し同業経営者4人組のメンバーで打ち初めにABCゴルフ倶楽部へ。

ABCゴルフ倶楽部
ABCゴルフ倶楽部

 五十歳を実感。。

一昨日の(走り初め)12キロラン、昨日の(チャリンコ初め)65キロサイクリングに続き3日連続でアクティブに体を動かすお正月になりました。
ただ、どうも2日間の運動のダメージが溜まってきているようで、いつも通りにカートに乗らずに歩いてラウンドすると最後はバテ気味、体のメンテナンスをしっかりしないといけないなー、と反省しきりです。

オッサン4人でラウンドをしていてミスショットが出ると、  もう数え年で50歳、若くないんやしバテてくるよね、言う話が何度も出ました。情けないですが。(苦笑)

ABCゴルフ倶楽部
ABCゴルフ倶楽部

本来、人生最後の一年。

九州の経営者仲間の中村社長も同い年ということで年頭のFacebookに40代ラストイヤー!と言う書き込みをされていました。

それを見てはっと気付いたのですが、そもそも私、寿命が50歳で終わるはずでした。
40代ラストイヤーどころか、人生最期の一年になるはずやったんや、と。
若い時に肝臓をつぶして医師に長生きはできないと勧告されていたせいもありますが、若い頃、織田信長に心酔していた影響も有り、ずいぶん生き急いでいたようで、40歳の誕生日を過ぎた後、若かりし頃付き合っていた彼女が(私が)「40歳で死ぬと言ってたけど、どうなったかと思って、」とネットで私のことを探してくれて、「生きてたのね、」とこのブログにコメントをくれたこともあったぐらいですから、その当時は50歳を超えて生き延びるとは微塵にも考えていなかった様に思います。

40半ばを越えてから最後のあがきだと運動を始めて、医師が絶対に治らないと言っていた肝臓が奇跡的に良くなってからそんなことはすっかり忘れちゃっておりましたが、本来なら今年が人生最後の歳です。といっても、何が起こるかわからないのが人生、来年まで必ず生きる保証はどこにもありませんが。。

 

スティーブ・ジョブズの死生観

スティーブ・ジョブズが伝説のスピーチと言われるスタンフォード大学で学生に語りかけた言葉の中に、毎日、鏡を見て今日、死んでも後悔をしないか?と自分に問い続けたというくだりが有りました。
生前、禅に傾倒していたとも言われる彼は一日いちにちを精一杯生き切ることを自らに課すことによって素晴らしい製品を生み出すイノベーションを起すことが出来たと、所謂、死生観を持つことの重要さを説いています。

 

一年の計を立てるにあたり、考えるべきこと。

奇しくも明日は今年の仕事始め、毎朝目を覚まして鏡を見て、その問いを続ける習慣を持つのはそんなに簡単に出来ることではないかも知れませんが、この一年の始まりにあたり、一年単位で今年一年で人生が終わるかも知れ無いと考えて、計画すること、行動することを考えるのはは日々の習慣を持つのに比べればそんなに難しくない様にも思えます。

本当は今年で最期となったかもしれないこの命。
今年はその使い道を真摯に考え、年末に「死んでもいい」と思える様に一年と言う時間を使ってみたいと思います。

 

とうとう、織田信長と同い年。

子供の頃から歴史小説を読んでは心酔していた日本の英雄中の英雄、織田信長が好んで舞った幸若舞の『敦盛』の一節に有った『人生五十年』は本当は人の寿命を指しているものではないらしいですが、私としては長い間信長が人生を五十年と決めて生き急ぎ、天下統一、天下布武というミッションを成したと思い込んでいました。
その敦盛の一節、

敦盛

思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。

ちなみに、織田信長享年49歳。いまの私と同じ年齢です。
誰もが平等に与えられている不都合にして冷厳な唯一無二の真実、「人は死に向かって確実に時を重ねており、そしていつ死ぬかは誰にも分からない」ということを決して忘れること無く、(今はもう、決して生き急ぐつもりは有りませんが、)毎日を精一杯生き切ることを胸に刻んでおきたいと思います。

さ、明日からガンバロ。

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