言ったもん勝ちの世界の終焉 #本物の時代

令和3年1月21日晴れ

新大統領就任。

雨降って地固まる。と言う表現が適当かどうかは分かりませんが、とにかく大きな混乱もなくアメリカはバイデン新大統領に政権が移行しました。ここ数日、アメリカ大統領就任までにクーデターまがいの大きな波乱があるとあちこちで耳にして、これをみたほうがいいと紹介されるYouTubeを見てみると、これが真実だ!との触れ込みでバイデン新大統領こそが巨大な悪の中枢で、トランプ元大統領は長年不正を続けてきた闇の組織を暴く正義のヒーローの扱いになっている動画がたくさんでした。一昨日配信された動画にはメキシコとカナダの国境から250,000人の人民解放軍が国境を越えて侵攻したとの情報を大手メディアは隠しているが真実だ、いよいよ戦争が始まったのだ。と気勢を上げる方までおられました。それはないやろう〜、と、その動画を見て私は一気に冷めてしまいましたが、少なからずバイデン新大統領に選挙戦での不正があったと思っている方はきっと今でも多くいるし、これからまだ不安定な政治状況が続くと言う話題はネットの中で拡散され続けるんだと思います。

沈黙は金か?

中国の古いことわざで雄弁は銀、沈黙は金と言うものがあります。私は20年以上建築会社の経営を続けてきて、ペラペラと必要以上によくしゃべる男がいかに信用できないかと言う事例を数多く体験し、言葉ではなく行動でしか人を評価してはいけないことを骨身に染みて知っています。なので、上述の沈黙(してても行動で示せる人)は金、と言う価値観が人を見るとき、評価するときの根本にあります。もともとのことわざの意味合いとは少しズレるかもですが、言ったもん勝ちの世界にだけは絶対になってはいけないと思っています。しかし、インターネットの発達で誰もが自分のメディアを持ち、自由に情報発信できるようになった今の世の中では、フェイクニュースが蔓延しているだけでなく、少なからずオーバートークやポジショントーク(自分に有利なロジックを並べる)がそこここに散見されます。今は、言ったもん勝ちの世の中になってしまったと少なからず嘆いています。

メッキだらけの世界。

しかし、薄っぺらいメッキは必ず剥げるのは物事の理。今は時代の大きな変化の過渡期にあり、大容量のデーター通信が誰にでも簡単にできる様になった事でブレイクしたYouTubeが目新しいこともあり、大きな人気を博して情報配信による認知拡大、集客ツールとしてもてはやされています。アメリカ大統領選挙にまつわるフェイクニュースが繰り返し拡散された事でもわかる様にYouTubeこそ言ったもん勝ちの最たるメディアになっていると思います。フェイクニュースもまさかここまで嘘を堂々と言わんやろーと思うくらい堂々と繰り替えされると、だんだんとそうかしら?と思ってしまうのは人間の心理の怖いところですが、これはフェイクニュースだけではなく、利益誘導のためのボジショントークでも同じで、建築業界でも専門家として一般消費者に正しい知識を身につけてもらいたいとの思いで客観的事実を配信している様でも、結局それが自社にとって都合のいい側面だけを述べてしまっている動画の多い事に少しうんざりしています。

言ったもん勝ち、やったもん勝ち。

今日、紹介で相談に来られたお客様は一年ほど前に新築で夢のマイホームを手に入れられた方でしたが、予定していた二期工事を新築を発注した施工業者には頼みたくないと、私たちのところにお越しになりました。話を聞くと、その業者の経営者は契約するまでの態度と契約後のそれとは全く180度変わり、細かなニーズをくみ取って一緒に満足できる家づくりを行います、とか、家は出来上がってからのメンテナンスも重要です、頻繁にコミュニケーションをとって、維持管理をしていきましょう、などと耳障りのいい事を並べていたにもかかわらず、結果的には電話をかけてもメールを送っても返信もなく全く連絡を取り合わない様になってしまったとのことでした。私としては双方のお話を聞いたわけではないし、同業者のことをジャッジする立場ではありませんが、同じ建築業者として、住まい手側の契約の履行(請求通りの代金の支払い)が誠実に行われたのであれば、長年に渡って責任をとる義務があると思います。これもまるで言ったもん勝ち、やったもん勝ちの世界です。

本物の時代がやってくる。

私が原理原則に則った経営を行う古典的マーケティングを学び出した15年前に、まず始めにやり方では無く在り方を学び、自ら正せと当時まだご存命だったメンターに教わりました。そして、まず作ったのは、私たちが何の為に、どの様な想いでこの事業に取り組んでいるかをリアルな自己開示と共に言葉に表す事と、それを言葉だけでは無く、仕組みに組み込んで実業で必ず実現できる体制(状態)づくりでした。この地道な取り組みこそが、自分から売り込む事なく安定的な売り上げ、利益を上げ続け、事業を存続させる力でありロジック(マーケティング)だと教わりました。その時の文面は今は新しくなった株式会社四方継のHPからは見ることが出来なくなっていますが、その文末に私が書いていたのは「本物に時代がもうすぐやってきます!」との言葉でした。現在の言ったもん勝ちが蔓延る風潮に抗う意味を込めて、初心を忘れることがない様に近いうちに社名等の修正を行ってからHPに戻してもらおうと思います。当たり前のことが当たり前に為す人と人との繋がりこそが四方良しの世界を作ると信じてやみません。以下に、創業の想いの文章を改めて再掲しておきます。

ご縁を頂いたあなた様へ

私のことについて。

はじめまして、すみれ建築工房の代表取締役 高橋剛志と申します。初めてのご挨拶として自己紹介がてら、少しだけお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか。
私は生まれも育ちも、今までの人生のほとんどをこの地で過ごして来た、根っからの神戸っ子です。その性分と言いますか、特徴はと言いますと、片田舎の小都市であるにも拘らず、古くから港町として栄えて新しいもの、珍しいものを早くから取り入れてきたことの名残りが街の随所に見られるように、異文化を柔軟に受け入れることだと思っております。目新しいものにはなんでも興味を持って、すぐに飛びつく、と言ったあまり良くないような風にも言われますが、本当に価値があるものか?使えるものなのか?広く受け入れられて定着するものなのか?と言った、本質に目を向けて判断するバランス感覚は知らず知らずのうちに養われてきた様に思います。関西に在って、大阪のような経済の中心でもなく、京都のような歴史の中心、表舞台だったような風格もなく、港が栄えたことによって幾ばくかの産業をもたらされただけの小さな町はとても窮屈な感じがして、若い頃はあまり魅力的には感じずにこの地から離れて暮らすことを選んだこともありました。しかし、離れてみると、住んでいた時には感じなかった良さが見えてくるもので、神戸の小さい町特有の仲間意識や、海と山がいつもそばにあり気軽に自然に親しめるロケーションが実は好きでたまらないということに気付き、何年も経たずにこの神戸の地に舞い戻ってくることになりました。

被災地での経験。

神戸に帰ってきてからの私は様々な仕事につきました。学歴も、資金も、コネクションも持たない自分が将来を切り開いていく方法を懸命に考えました。そして、たどり着いたのは、ありきたりですがやはり手に職をつけるということでした。それからは大工の見習いとして小さな工務店に働きながら、将来の独立を夢みて独学で建築の勉強をする日々が続き、数年後には建築士の資格を取得することができました。そして、奇しくもその翌年に、あの大震災が起こったのです。その時、私も被災者の中の一人でした。水道もガスも一月以上復旧せずに、神戸市外の親戚の家までお風呂を使わせてもらいに通いました。母親が住んでいた団地は玄関ドアの開閉が出来ないほどの損傷を受けて、全壊の判定を受けましたし、震災の当日に見舞いに行った長田地区の友達や知り合いの家や事務所は瓦礫の山と化していました。あの地震でたくさんの方が尊い命を亡くされ、神戸の経済が壊滅的な打撃を受けたのはご存知の通りです。実は、震災前の神戸の建築業界は構造不況とも言える大不況の真っ只中にありました、小さな工務店などは息も絶え絶えな状態のところが本当に沢山ありました。それがあの震災を期に、捌き切れないほどの仕事が突然舞い込んできて、神戸の建築に携わる者全員が息を吹き返したのもまた事実なのです。まずは仮設住宅の建設、次には膨大な数の倒壊した家屋の解体撤去、そして街が少し落ち着くと資金がある人は我先にと新しい家を建てたり被害にあった部分を直したりしました。私はその頃はまだ大工職人として工務店に勤めておりましたので、休みも無くがむしゃらに働くだけだったのですが、今考えると、そんな中でより忙しくしている会社に転職をしたりもして、独立への基礎を固めた時期でもあったようです。私の人生もあの地震で大きく変わったのは否定することは出来ません。『すみれ建築工房は、阪神・淡路大震災がきっかけで出来た工務店である。』というのもまた事実なのです。

私たちの存在意義。

私たちはとても小さな会社ではありますが、その誕生のきっかけの底辺に神戸の人たちの大きな悲しみがある以上、ほんのちっぽけなことでも、何かお返しをしなければならないと考えます。そして、その悲しみの原因は天災だけではなかったのです。震災後、私たちは瓦礫の山になった住宅を押し分けるようにして家を建てていきましたが、倒壊しなかった家というのは特別な構造の住宅では決してありませんでした。現在では震災の教訓を生かして建築基準法は改正され、検査での技術的な水準は大きな進歩をしましたが、その当時でも、昭和56年に制定された新耐震基準と言うものがありました。実際、倒壊した建物のほとんどがその基準を満たしていなかったのですが、それはただ、築年数が古かったというだけの理由ではなく、構造的な根拠を持たない建築業者や大工が安易にリフォーム・増改築を行ったことに起因して壊れてしまった建物も沢山あったのです。それは完全に旧態依然の悪しき慣習にどっぷりと浸かった建築業者による人災だったのです。震災の復興事業は誰が想像したよりも早く進みました。しかし、それは表面上だけで、被害が大きかった地域に少し入ると基礎だけが残されて、更地にもならずに放置されたままになっている土地が未だ随所に見られます。それと同じように日本全国から建築業者が集まってドサクサの中で行われていた建築の震災復旧では、実は表面上だけの繕いに終始して、本質的な問題解決をなされないままになっている建物もいまだに多くあるようです。震災前までの長年の間、神戸の産業の中心だった港湾関係の活気は震災前の面影には戻りません。真の震災復興と言うのはありえない、と言っていいほどあの地震は取り返しのつかないほどの深い爪あとを神戸に残して行きました。そんな表面的な震災復興が終ったタイミングで創業した私たちは自分たちの存在意義を考えます。建物の作り手として、設計者として、建設業者として、人として、何のために存在しているのか、何のために存在を許されているのか、その答えを探すことが、神戸で震災後に生まれた建築業者としての事業そのものであると考えております。
・私たちは、お客様の命をお預かりしていることを、認識しています。
・私たちは、お客様の生活の基盤を作るお手伝いをしていることを理解しています。
・私たちは、お客様の楽しく、明るい、幸せな家庭を築くために神戸の地で建築の仕事を続けていきます。

ご縁を頂いた方との約束。

小さな町神戸で、私をはじめ、すみれ建築工房のスタッフ一同は、生涯をかけて、私たちに関わって頂く、すべての方々の楽しく心地よい暮らしと、安心と安全の住まい、そして明るい未来に向かえる生活の基盤つくりのお手伝いに情熱を傾けることを決意すると共に、固く約束致します。この約束を守ること、この約束を継続し続けることが私たちの存在意義となって行くのだと思います。そして、この約束を守るために、私たちは考えうること全てに取り組んでいきます。まずは、はじめの接客窓口からご希望を真摯に伺うヒアリング。そして設計、プランニング、積算、見積りを一貫して行える設計部門の内製化と、スキルの向上への絶え間ない努力。次に、思いをカタチに具体化する、建築現場での作業を自社の社員で行う内製化と、技術基準の平準化、そして厳正な社内検査による品質の確保。工事が終わってからも、普段からお住まいに関するあらゆる問題点をいち早く解消出来る様に、常時専任の担当者が半年に一度以上の頻度で定期的に無料メンテナンスに巡回する仕組みも構築してきました。私たちはとてもちっぽけな会社ではありますが、ものづくりを自らの手で行うことにより、私たちと関わり合いを頂く皆様に安心・安全・ココチよい、を確実にお渡しすべく、固い志をもってこの神戸の地にゆっくりと、そしてじっくりと根を張ってきました。あなたさまが私の思いを聞いて下さったこと、そして、このような出会いがあったことに心から感謝致します。ありがとうございます、そして今度は私たちにあなたさまの思いを是非お聞かせください。ホンモノの時代がもうすぐきっとやって来ます!


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