令和元年8月12日 山の日 快晴
令和初山の日。
今日は令和に改元されて初めてとなる「山の日」 奇しくもすっかり毎年恒例行事となっている富士山登山の日と重なり、令和初の記念すべき日に富士山頂への登拝を果たすことが出来ました。私が富士山に登り、山頂の浅間神社本宮に参拝を始めてから今回で10年連続、11回目となり、今回を機に一旦の区切りとしたいと思っていた事もあり、素晴らしい天候に恵まれた最高の登拝となりました。
10年連続11回目の富士山登頂に成功。
この度、10年目となる富士登拝を終えて、改めて感じたり、気づいたコトがありました。(一応、)今回を区切りとして来年からは違う霊場に参りたいと思っており、今回の富士登山の記録の写真と共に10年間、日本のてっぺんに通い続けた意味と価値についてこの場で振り返っておきたいと思います。人生で一度は富士山に登ってみたい!と思っておられ、まだ実現されていない方に少し参考にして頂ければ幸いです。
日本のてっぺんに立つと人生が変わる説。
最近はあまり耳にしなくなりましたが、一昔前まで、「富士山頂に登ってご来光を見れば人生が変わる」と言われる方が多くおられました。私も10年以上前はそんな言葉を聞いて、どうなんだろうと思っておりましたが、ひょんなきっかけを頂き、富士山に10年間毎年登ることになって今思うのは、確かに人生が大きく変わったということです。
地獄を見た初登頂。
初めて富士山に登ることになったのは10数年前から熱心に毎月大阪に通っていたとある勉強会の主宰の先輩経営者が、富士山頂で勉強会をやろう!と言い出されたことでした。いわゆる「その場のノリ」で盛り上がり私も参加することになりましたが、その当時の私は今よりも体重が20数キロ重く、全く運動などしていなくて、また、高い山に登る予備知識も全く無い状態で、なんとか山頂までたどり着き、美しいご来光を拝む事が出来ましたが、高山病に罹った事もあり地獄の体験としか言いようがありませんでした。二度と富士登山には行くまい。と固く決心したものです。
結果は準備と習慣が決める。
その翌年、二度目の富士山もその経営者仲間の勉強会で「昨年のご来光が素晴らしかったので行けなかったメンバーにもぜひ体験してもらいたい!」と主宰の社長が言い出して、確かにその通りだと思ったのと同時に、準備をすれば昨年の様に苦しむことはないだろうと考えて富士登山の数ヶ月前からランニングをする様になりました。その週に一回のランニング(当時はウオーキング)は今も習慣として根付いており、そのおかげで体重を落とし、悪かった肝臓を治し、今ではフルマラソンや長距離の自転車レースなどにも参加できる体力を取り戻しました。これが一つ目の大きく人生を変えられたことです。
追悼とご恩送り。
3回目に富士登山のシーズンを迎える前の年末、私を富士山に登るきっかけを作ってくださった、私がメンターとして慕っていた先輩経営者が急逝しました。大きな悲しみに暮れましたがその夏は勉強会のメンバーと追悼の意を込めて富士山に登拝しようという事になりました。3回目ともなれば私も慣れたもので、それまでは参加者の立場だったのが主催者側に変わり、初めてチャレンジする人をサポートする側になりました。4回目以降は完全に私の主宰のイベントとなり、勉強会の仲間だけではなく「一度は富士山に登って見たい!」と言われる人に広く参加を募り、山頂に連れて行く立場へと変わりました。主体性を発揮して人の夢を叶える手伝いができる立場へと変わったのは大きく人生を変える出来事でした。
思考は(口に出すだけで)現実化する。
結果、今回の10年連続11回の富士山登頂までに私は数多くの、友人だけではなく、家族や社員、お客様、そして遠く九州や東北の主宰の塾の塾生達に日本の頂上に立つきっかけを与え、サポートしてきました。「一度は富士山に登って見たいなー」とぼんやりした夢を、少しの決意を持って「参加します!」と一言口にすれば、思考は現実化してしまう、自分自身が経験してきた一歩足を踏み出せば全く違う世界が見れる事を伝える事が出来たのではなないか、なんて(少し大げさですが)思うのです。
富士登山で人生が変わった。
実際、この十年間に一緒に富士山に登った事を(直接的、間接的に)きっかけにして大きく成長を遂げられた人を何人も見てきました。毎回、日常生活には無い感動のドラマがあり、人が持つ底力や、結果は本番の前に決まっているという厳しい原理原則も沢山目の当たりにしました。そして、そんな経験を数多く積み重ねた事でやっぱり一番大きく人生を変えたのは私で、10年前は神戸の片田舎で大工職人の延長線の小さな工務店の経営者だった私が、様々なチャレンジをして、今は海外にも法人を持ち、全国に研修事業を展開する一般社団法人の理事長を努める様になったのは、今までの殻を破り、一歩を踏み出す勇気とモチベーションを持ち続けたからに他ならないと思っています。
結局、最も学んだのは自分。
この様な人生を変えるきっかけを下さった、今は亡き嶋田社長から頂いたご恩を少しは周りの人たちに送れたのではないかと思うとともに、人のために尽くす事こそ、自分自身の人生を良きものにする最大の方法論であり、古典的マーケティング論が示す「在り方」ではないかと今更ながら腹の奥深くに落ちる思いです。結局、詰まる所、私が毎年、富士登山で参加者のサポートをしてきたのは全て私の糧になり、私自身が一番深い学びを得て、貴重な経験を重ねさせて頂けた訳で、これまで私と共に富士山にちょっとした修行に行って頂いた方に心から感謝するばかりです。
謝辞。
今回の富士登山を区切りとして、来年からは違うイベントを考えたいと思っています。今回も最高の天気と最高の仲間に恵まれ、やっぱり記憶に残る出来事があり、何も思い残すことはありません。富士山に登ってみたいがまだ行けてない、という方は、今後はきっと、私と共に富士山に登った人に「一度富士山の頂上に立って見たいんだよねー」と言ってもらうと、「行ってみる?連れいていこうか?」と爽やかに答えてくれると思います。(笑)
十年間の長きにわたり、私と共に日本の頂上に登拝してくださった皆様、心から感謝申し上げます。来年は是非、屋久島に行きましょう!(笑)