駐車料金60パーセントオフの謎。

1月20日 晴

今日はいつもより早めに出社して期限ギリギリになった見積書をまとめて朝一番から打ち合せに。

眩しい朝日に照らされながら一日のスタートを切りました。

打ち合せ、ご契約、現場打ち合せ、沖縄の現場の着工準備、NPO法人の定例会、と一日走り回り、夕方からは第17回目となる『職人起業塾』の主宰と分刻みのスケジュールをこなしました。

ずいぶんと充実した一日でした。。

光る海
光る海

さて、お題目。

今朝、神戸の中心地で非常に気になる看板を見つけました。

それは、鯉川筋にあるパーキング。

駐車料金 1日 720円

と大きく書かれており、周りのパーキングが1,500円位なのを考えると半額以下の激安です。

しかも、神戸大丸から徒歩1分の便利なところにあり、こんないい話があるのかと疑問に思い、つい、そのパーキングに入ってしまいました。

駐車していたのは1時間半、駐車料金は600円でした。

ふつーです。(苦笑)

おいおい、新手の詐欺かよ、と思いつつよく見てみると回数券を購入すると60パーセントオフで買えるとの事です。

それならすぐに購入しようと思い購入窓口を探してみるとありません。

カーテンが引かれ、硬く閉ざされた窓口には電話番号が書いてあり「回数券購入の問い合わせはこちら」とのこと。

早速電話しました。

つながったのは東京のコールセンター。説明を聞いてみると、

■回数券は5,000円単位でしか販売していない。

■先にこちらが銀行振り込みをすると郵送で送られてくる。

■有効期限はないので買いすぎても損になる事は無い。

■1万円分の回数券が4,000円で購入できる

との事でした。

所謂、プリペイド方式で格安の回数券を販売しているということですが、なるほどなぁと唸りました。

近年になってずいぶんと世の中にプリペイド方式のカード販売が普及してきましたが、それを導入する企業のメリットというのが、大まかに分けると、

■先に現金化できるのでキャッシュフローが改善される。

■販売されたプリペードカードはすべて使われる事は(絶対に!)無い。

という2つの点です。

以前に使われずに埋もれてしまったプリペードカードの総額は莫大な金額になるということを聞いたことがあります。

神戸の一等地にあり、大きな割引をしなくてもいつも満車になるような立地のパーキングが60パーセントオフもの回数券を発行するという事実を目の当たりにして、プリペイド方式の凄さを実感することになりました。

衝撃的に安い料金を掲げて集客し常に満車状態をキープするのに実質のコストは一切かかっていないのかもしれないなと。

回数券を発行することで、固定客の確保が叶い、しかも紛失や未使用のまま埋もれていく回数券でその割引分は補填されるのではないかという仮説が頭に浮かびました。

これは決して悪いことではなく、むしろ消費者がしっかりしていれば非常にありがたいシステムです。

ただ、私自身も経験があるのですが

■JRのICOCAを落としたこと、

■駅前の駐輪場の回数券をなくしてしまったこと、

■図書券が机の中でずっと埋もれていること、

■少しだけ残額が残ったクオカードを使い切らずにいつまでも財布の中にあること、

■古くなったテレフォンカードが使えなくなり捨てたこと、

プリペイドした価値をきっちりと使い切る事は非常に難しいことなのだと前々から実感しているだけに、気をつけないと、と。

自動的に集客するシクミ、いろいろとあるものです。

非常に勉強になりました。(笑)

職恩。

1月19日晴れ

週末に引き続き朝方はずいぶん冷え込みましたが、太陽が顔を出してからはうららかな日となりました。

月曜日は着工現場が多いということで、私も昼からは現場回りへ。

空気調和工事
空気調和工事

「迅速、確実、丁寧」をモットーに顧客が求める価値に焦点を定めて目的意識をしっかり持って現場を進めてくれるように担当者に申し伝えをしてきました。

 

 

建築工事会社の価値は現場にあると思っています。

それは、出来上がった建物もそうですが、作り上げる過程においていかに顧客の要望やイメージを汲み取って現場に反映させるかにかかっていると思います。

設計やプランニングも非常に重要ではありますが、所詮は絵に描いた餅。実際に具現化できてこそ価値となる。逆に、それができなければ一切の信用は地に落ちる、ということをスタッフと共有してできる限りの努力を積み重ねたいと思っています。

とにかく、ひめーくんがんばってね。(笑)

 

天井撤去作業中
天井撤去作業中

 

ちなみに、私が良く口にする『迅速、確実、丁寧』というのは私が建築業界に転身を図る前に勤めていた運送会社の社是です。

 

未だ20歳そこそこで体力しか取り柄が無かった、飯を食うにも困る状態の貧乏のどん底にあった私を拾ってくれて、心身共に鍛えてくれた会社でして、、

安くて、美味しくて、(しかも採用されてすぐ)ツケが効いた社員食堂のご飯のお陰で何とか食べ繋いで生きながらえたという、命のご恩まである会社です。

実は、こう見えて結構苦労してました。(苦笑)

 

それがなかなか強烈な会社で、ずいぶんと厳しい試練も(山ほど、笑)与えてくれまして、そのお陰で今の(忍耐強く、諦めない、しつこい性格の)私があると言っても過言ではないと思っています。

 

採用当初の出勤時間は夕方の5時。

そこから、延々とトラックターミナルに到着する大型トラックの荷台からひたすら荷物を降ろし続けるのを、翌朝の8時くらいまで延々と続けます。

帰宅するのは10時くらいで毎日4時間睡眠がやっとこさの暮らしを1年くらい続けた様に思います。

初日はローラーの上を高速で転がる荷物の音と、過酷な肉体労働に気が変になりそうでした。

たしか、同じ時期にアルバイトとして入って来た人で3日続いたのは30人に一人くらいではなかったかと思います。(私は社員食堂のお陰でなんとか続きましたが、、)

 

セールスドライバーになってからは6時出勤、終わるのは25時くらいの日が半年以上は続いたような覚えがあります。

とにかく、帰宅して、寝ようかと思う頃には出勤時間になっていたような、、(笑)

労働法もクソも無い厳しさではありましたが、その分稼がせて頂いて、おかげさまでとにかくどん底の貧乏からの脱出を図ることに成功しました。

 

完全に昭和ですね。(笑)

 

先日、とあるセミナーで『職恩』と言う言葉を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは、建築業界に転職してから親切にしてくれた親方やオヤジ、先輩大工さん達のことでした。

本当に皆さんに助けられて、育てて頂いたと一生忘れることが出来ないご恩を感じています。

その時は前職のことはあまり考えませんでしたが、よく考えるとそこに私の原点があったのだと最近気付くことがありました。

 

件の運送会社出身の先輩経営者さんとお仕事をさせて頂く機会に恵まれて、その会話の中でその当時のことが話題に上り、辛かったこと、厳しかったこと、そしてその中でも心を折らずに何とか踏ん張って来たことが走馬灯の様に頭の中を巡りました。

支店は違いましたが、同じ時期に在籍しておられたということで、その当時のことを振り返って共通の(過酷な、笑)体験を懐かしんでしまいました。

『迅速、確実、丁寧』という共通言語もありますし。(笑)

 

『職恩』

いつの間にか50歳前のおっさんになり、つい自分で何もかもやって来たような顔をしてしまいがちですが、右も左も分からないガキを相手にして、育ててくれた人達が常に職場にいたことで、なんとかかんとか、いっぱしの大人になったコトを忘れてはいけないな、なんて改めて思うと共に、自分が頂いて来たご恩を『職恩』として捉え、私が携わる職場全体の仕事を通じて若い世代の人に自分が受け取ったことを渡していかなければと思いました。

まあ、今時あまり厳しいのは流行らんと思いますので、ソフトな感じで若い人の成長に寄与出来ればと思います。(笑)

20年。

1.17 晴

太山寺参道
太山寺参道

今日は出勤時間を少しだけ遅らせて、1週間に一度の朝ラン。

いつもは一人っきりで黙々と走っているのですが、今朝は珍しく、プチ練習会と称して、クリナップ社のセールス担当、岡本さんにお願いして一緒に走ってもらいました。

クリナップ社Oさん
クリナップ社Oさん

ペースメーカーとしてタイムのチェックをしっかりしてもらいながら、フォームや呼吸など普段これで良いのかしら?と思いながら我流で走っているのを確認しつつのおしゃべりしながらのラン、楽しかったです。

おかげさまで、予定通り、6.94miを1時間6分のタイムで気持よく走ることが出来ました。

Oさん、ありがとうございました。

引き続きご指導の程よろしくお願いします。(笑)

コースはいつものおらが村の国宝、太山寺。

太山寺 金堂
太山寺 金堂

いつもは門前で手を合わせてすぐに復路を走り出すのですが、今日は1.17、震災から20年の特別な日ということで、本堂では特別法要が営まれるらしく、「拝観料は要らないので、お参りしていってくださいね。」とお声掛けを頂いたので久しぶりに門をくぐってご本尊さんの近くに参って手を合わせてきました。

震災の犠牲者のご冥福を祈念する灯籠
震災の犠牲者のご冥福を祈念する灯籠

あれから20年。

早かったような、人生が大きく変わる様々な出来事が多くあったような、、

人生に起こるあらゆる出来事は、『人間万事塞翁が馬』と例えられる様に、良かった、悪かった、と単純に割り切れるものではありませんが、20年前に起こったあの日以来、大きな悲しみがあったこと、そしてその悲しみは今も消え去ることが無いのはまぎれも無い事実だと思っています。

TVでは朝から震災20周年の特番が組まれ、当時の映像が絶え間なく流されていました。

そんな中、たまたま目にしたのはすみれのクライアント先でもある長田商店街の洋服店店主のTさん。

メンズショップPのT社長
メンズショップPのT社長

神戸市が震災後急いで計画を実行に移した新長田地区の再開発のカタチだけの復興を拙速に成し遂げた後の、住民、商店街の店主達の苦悩を厳しい表情で訴えられておりました。

神戸に住む人達は知っている、もしくは薄々気付いている震災後に新たに派生した問題は今もなおたくさんあり、多くの人々にとって悲しみは今も大きくのしかかっています。

あれから20年、街はすっかりきれいになり、当時瓦礫の山と焼け野原だった神戸の面影は今はもう見ることは無くなりましたが、『真の復興』が出来たかどうかは甚だ疑問が残ります。

現在も神戸市のトップはその当時に住民の反対を押し切って再開発を推し進めた市長の流れを汲んだ人物です。
市政の見直しを含めて、私たち神戸市民がもう少し意識を変えることが必要だと、改めて思った次第です。

とにかく、今日は震災で被害に遭われた皆様のご冥福を心からお祈り致します。

最後に、すみれのHPで初めて訪れて頂いた方に読んで下さいとご案内している私たちの創業時の想いを再度ここに備忘録の意味を含めて転送しておきます。

少し長くなってしまいますが、震災とは切っても切れない私たちの想いと責任を綴っています。

 

******ここから転載*******

すみれ建築工房とご縁をいただいたあなた様との約束

幼少の高橋剛志

はじめまして、すみれ建築工房の代表取締役 高橋剛志と申します。初めてのご挨拶として自己紹介がてら、少しだけお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか。
私は生まれも育ちも、今までの人生のほとんどをこの地で過ごして来た、根っからの神戸っ子です。
その性分と言いますか、特徴はと言いますと、片田舎の小都市であるにも拘らず、古くから港町として栄えて新しいもの、珍しいものを早くから取り入れてきたことの名残りが街の随所に見られるように、異文化を柔軟に受け入れることだと思っております。

目新しいものにはなんでも興味を持って、すぐに飛びつく、と言ったあまり良くないような風にも言われますが、本当に価値があるものか?使えるものなのか?広く受け入れられて定着するものなのか?と言った、本質に目を向けて判断するバランス感覚は知らず知らずのうちに養われてきた様に思います。

関西に在って、大阪のような経済の中心でもなく、京都のような歴史の中心、表舞台だったような風格もなく、港が栄えたことによって幾ばくかの産業をもたらされただけの小さな町はとても窮屈な感じがして、若い頃はあまり魅力的には感じずにこの地から離れて暮らすことを選んだこともありました。しかし、離れてみると、住んでいた時には感じなかった良さが見えてくるもので、神戸の小さい町特有の仲間意識や、海と山がいつもそばにあり気軽に自然に親しめるロケーションが実は好きでたまらないということに気付き、何年も経たずにこの神戸の地に舞い戻ってくることになりました。

神戸

神戸に帰ってきてからの私は様々な仕事につきました。
そして、学歴も、資金も、コネクションも持たない自分が将来を切り開いていく方法を懸命に考えました。
そして、たどり着いたのは、ありきたりですがやはり手に職をつけるということでした。
それからは大工の見習いとして小さな工務店に働きながら、将来の独立を夢みて独学で建築の勉強をする日々が続き、数年後には建築士の資格を取得することができました。
そして、奇しくもその翌年に、あの大震災が起こったのです。

その時、私も被災者の中の一人でした。水道もガスも一月以上復旧せずに、神戸市外の親戚の家までお風呂を使わせてもらいに通いました。
母親が住んでいた団地は玄関ドアの開閉が出来ないほどの損傷を受けて、全壊の判定を受けましたし、震災の当日に見舞いに行った長田地区の友達や知り合いの家や事務所は瓦礫の山と化していました。
あの地震でたくさんの方が尊い命を亡くされ、神戸の経済が壊滅的な打撃を受けたのはご存知の通りです。

実は、震災前の神戸の建築業界は構造不況とも言える大不況の真っ只中にありました、小さな工務店などは息も絶え絶えな状態のところが本当に沢山ありました。
それがあの震災を期に、捌き切れないほどの仕事が突然舞い込んできて、神戸の建築に携わる者全員が息を吹き返したのもまた事実なのです。

まずは仮設住宅の建設、次には膨大な数の倒壊した家屋の解体撤去、そして街が少し落ち着くと資金がある人は我先にと新しい家を建てたり被害にあった部分を直したりしました。
私はその頃はまだ大工職人として工務店に勤めておりましたので、休みも無くがむしゃらに働くだけだったのですが、今考えると、そんな中でより忙しくしている会社に転職をしたりもして、独立への基礎を固めた時期でもあったようです。
私の人生もあの地震で大きく変わったのは否定することは出来ません。

『すみれ建築工房は、阪神・淡路大震災がきっかけで出来た工務店である。』というのもまた事実なのです。

私たちはとても小さな会社ではありますが、その誕生のきっかけの底辺に神戸の人たちの大きな悲しみがある以上、ほんのちっぽけなことでも、何かお返しをしなければならないと考えます。
そして、その悲しみの原因は天災だけではなかったのです。
震災後、私たちは瓦礫の山になった住宅を押し分けるようにして家を建てていきましたが、倒壊しなかった家というのは特別な構造の住宅では決してありませんでした。

現在では震災の教訓を生かして建築基準法は改正され、検査での技術的な水準は大きな進歩をしましたが、その当時でも、昭和56年に制定された新耐震基準と言うものがありました。
実際、倒壊した建物のほとんどがその基準を満たしていなかったのですが、それはただ、築年数が古かったというだけの理由ではなく、構造的な根拠を持たない建築業者や大工が安易にリフォーム・増改築を行ったことに起因して壊れてしまった建物も沢山あったのです。
それは完全に旧態依然の悪しき慣習にどっぷりと浸かった建築業者による人災だったのです。

震災の復興事業は誰が想像したよりも早く進みました。
しかし、それは表面上だけで、被害が大きかった地域に少し入ると基礎だけが残されて、更地にもならずに放置されたままになっている土地が未だ随所に見られます。
それと同じように日本全国から建築業者が集まってドサクサの中で行われていた建築の震災復旧では、実は表面上だけの繕いに終始して、本質的な問題解決をなされないままになっている建物もいまだに多くあるようです。
震災前までの長年の間、神戸の産業の中心だった港湾関係の活気は震災前の面影には戻りません。
真の震災復興と言うのはありえない、と言っていいほどあの地震は取り返しのつかないほどの深い爪あとを神戸に残して行きました。

そんな表面的な震災復興が終ったタイミングで創業した私たちは自分たちの存在意義を考えます。
建物の作り手として、設計者として、建設業者として、人として、何のために存在しているのか、何のために存在を許されているのか、その答えを探すことが、神戸で震災後に生まれた建築業者としての事業そのものであると考えております。

  • 私たちは、お客様の命をお預かりしていることを、認識しています。
  • 私たちは、お客様の生活の基盤を作るお手伝いをしていることを理解しています。
  • 私たちは、お客様の楽しく、明るい、幸せな家庭を築くために神戸の地で建築の仕事を続けていきます。

小さな町神戸で、私をはじめ、すみれ建築工房のスタッフ一同は、生涯をかけて、私たちに関わって頂く、すべての方々の楽しく心地よい暮らしと、安心と安全の住まい、そして明るい未来に向かえる生活の基盤つくりのお手伝いに情熱を傾けることを決意すると共に、固く約束致します。

この約束を守ること、この約束を継続し続けることが私たちの存在意義となって行くのだと思います。そして、この約束を守るために、私たちは考えうること全てに取り組んでいきます。

まずは、はじめの接客窓口からご希望を真摯に伺うヒアリング。
そして設計、プランニング、積算、見積りを一貫して行える設計部門の内製化と、スキルの向上への絶え間ない努力。
次に、思いをカタチに具体化する、建築現場での作業を自社の社員で行う内製化と、技術基準の平準化、そして厳正な社内検査による品質の確保。
工事が終わってからも、普段からお住まいに関するあらゆる問題点をいち早く解消出来る様に、常時専任の担当者が半年に一度以上の頻度で定期的に無料メンテナンスに巡回する仕組みも構築してきました。

私たちはとてもちっぽけな会社ではありますが、ものづくりを自らの手で行うことにより、私たちと関わり合いを頂く皆様に安心・安全・ココチよい、を確実にお渡しすべく、固い志をもってこの神戸の地にゆっくりと、そしてじっくりと根を張ってきました。
あなたさまが私の思いを聞いて下さったこと、そして、このような出会いがあったことに心から感謝致します。

ありがとうございます、そして今度は私たちにあなたさまの思いを是非お聞かせください。
ホンモノの時代がもうすぐきっとやって来ます!

********転載ここまで********

ちなみに私にとっての20年と言う歳月は結婚してからの時間でもあります。

実は、今年になってから20年前に妻にもらった指輪を20年ぶりに改めて薬指にはめています。

20年という年月をなんとか乗り切ったことの感謝と、一つの区切りが終わり、新しい20年に向かって歩みを進めていきたいと願いを込めて。

誰にとってもいい20年になります様に、

20年ぶりの指輪
20年ぶりの指輪

 

一貫性の法則の罠。

1月16日 曇り

スカッとしない天気が続きます。

昨夜も遅くまでクライアントにお越し頂いて打ち合せさせて頂いた流れで午前中の所用を済ませた後は今日もそのまま現場へ。

店舗のインフラを担当して頂く設備系の業者さんと実施計画の打ち合せをガッツリとしつつも、その合間(というか間隙)を縫って神戸HDC(ハウジングデザインセンター)にリフォームの打ち合せとドタバタした一日となりました。

 

元町〜神戸間の移動中にちょうどお昼時という事で昼食を摂りました。

やっぱり、ラーメン。(笑)

春陽軒ロゴ
春陽軒ロゴ

神戸の中心地は今ではすっかり三宮に移ってしまいましたが、元々は神戸、元町がその中心地であったこともあり、歴史のある飲食店も数多くあり、美味しいと評判のお店や、若い頃通っていた名店も数多くあります。

にも拘らず、ラーメンの看板に釣られてお店に入ってしまったのですが、隣の席の人が『酢豚定食』を注文しておられ、美味しそうな匂いに若干の後悔をしてしまいました。(苦笑)

いつもいつもバカの一つ覚えの様にラーメンばかり食べる事無いのに、、と。

 

老詳記
老詳記

最近読んだとある心理学の本に書いてあったのですが、『人は一貫性の法則に囚われる』とありました。

一貫性の法則とは、自分が一度決めたことに対して、その後の行動でその決定を守り、支持することを付け足してしまうというモノで、当初決断したコトが正しいか、正しくないかの検証をするよりも、その決定を守ることに執着したり、焦点が向きがち、という事でした。

特に、『コミットメント』というカタチを取り、文章に書き残す様なことをしてしまうと、前言を翻すことが非常に難しくなる傾向が認められるようです。

 

たとえば、
「ラーメンブログを書き始めました。」と、コミットメントすると、とにかく機会があるごとにラーメンを食べる自分へと自ら変化させて、しかもそれが時間と共にエスカレートすることで、「ラーメンブロガー」の自分を形成していくようになる、と言うのがその理論で、そのようにセルフイメージを作り上げることで、どんどんその自分から抜け出せなくなる。

どうやら、そんな流れ(一貫性の法則の罠)で今日もラーメンを食べちゃった、という事のようです。(^_^;)

 

私もですが、多くの人は『一貫性』という言葉に対してネガティブなイメージを持たないと思います。どちらかと言うと逆に高い評価、素晴らしいことの様にインプットされていると思うのですが、今日の私の様に、食すべき素晴らしいお店やおいしい料理がキラ星の様にある状況で、一貫性を発揮するのはほぼ無意味だと隣の席の酢豚を見ながら思いました。

 

老詳紀
老詳紀

昨夜も、打ち合せの合間に、先輩経営者であるクライアントから業績が急激に良くなったきっかけを聞かせて頂きました。

その中に、店舗のイメージをガラッと変える程、取扱商品を変えたというお話が有り、興味深く聞かせて頂きました。

いわば、一貫性の放棄によって大きく経営改善を行った、ということ。

 

習慣、一貫性をつい重要視することによって、逆に間違ったセルフイメージに縛られて、間違った決断に執着することによって、失敗してしまうことも結構あるのかも、と思った次第です。

 

その本の著者、心理学者のロバート・B・チャルディーニによると、一貫性の影響で失敗に足を踏み込もうとする時は心の奥の方から声なき声が聞こえて来るはずで、その声に耳を傾ければ間違った判断に引きずられて深みにハマる事はない。との事ですが、これって非常に難しいリフレーミングだと思いました。

私流に言い換えると、「そもそも」とか、「元々」とかの本質に立ち返る言葉を頻繁に使いながら、やもすればすぐにごっちゃになりがちな目的と手段の線引きを振り返ることで一貫性の罠から抜け出すことができるのでは無いかと思います。

まぁ、ラーメン好きというコミットメントから抜け出すのは容易ではなさそうですが…。(^_^;)

 
今日の様に、自分自身が生み出す一貫性の罠に囚われることの無い様に気をつけたいと思います。

地域型住宅グリーン化事業決定。

1月15日 土砂降り

朝から屋根を叩く雨音がうるさいと感じる程の雨、こんな土砂降りは久しぶりでした。

雨の伊川谷
雨の伊川谷

そんな雨の中、午前中は近所の(アイドル犬チャックの実家の)お客様宅にメンテナンスの訪問。

幅一間もある様な大きな吊り下げ式の木戸の調子が悪いという事で様子を見に伺いました。

「もう二十年も経ってるからそろそろ、だめかしら、」

と心配されておられましたが、しっかりした作りの木製吊り戸はまだまだ交換するようなモノではなく、逆にスチール製のレールの方に不具合を発生しておりました。

「簡単な修理で直りますので、この木戸にはもう少し活躍してもらいましょ」

と、修理の手順と必要なメンテナンスの内容をご説明してお客様宅を後にしました。

「じゃあ、おねがいね」

生憎の天気ではありましたが、気持よくお仕事のご依頼を頂けて気持はスカッと晴れてしまいました。

 

さて、お題目は平成27年度予算が、昨日1月14日に閣議決定された件。

住宅関連では毎年少しずつ縮小されて来て、もう無くなる、と言われていた長期優良住宅関係の補助金が消費増税の煽りで建築業界が沈みかけているのを受けて、またじゃぶじゃぶと個人住宅の新築工事に国費を投入されることになりました。

私たちの取り組む事業に関係する部分のみサックリとつまみ出すと、

長期優良住宅や認定低炭素住宅等は、1戸あたり100万円を上限に補助対象。
住宅のゼロエネルギー住宅の場合は、1戸あたり165万円を上限に補助対象。

ここまでは26年度の施策と同じですが、27年度はそこに、地域材を使用する場合は、1戸あたりの上限が20万円上乗せするコトとなりました。

結果、26年度もすみれでも採択されている『ゼロエネルギー住宅』は(地元産の木材を使っているので)185万円の補助が個人住宅に対して支出されることになりました。

図に表すとこんな感じ、

地域型住宅グリーン化事業
地域型住宅グリーン化事業

上記の長期優良住宅系の新築工事には重複して使えませんが、省エネ住宅ポイントも復活。

エコ新築、エコリフォーム共30万ポイントが支給され、節水等、認定される要件も拡充されてリフォームでも使いやすい制度になっているようです。

詳しくはこちら、

☆国土交通省住宅局 平成27年度予算決定概要

http://www.mlit.go.jp/common/001065853.pdf

 

消費税増税により内需は低迷、円安誘導により輸出企業の業績が良くなった分、法人税による税収は増える見込みとのことで、過去最大の予算編成が成されたようですが、落ちた内需景気を喚起する為にまた補助金という政策誘導に国費を投入。

 

私たち住宅事業に携わる者にとってはお客様が得をした!と喜ばれるのを目の当たりにするので、まったく反対の立場という事でもないのですが、全体的にみると、なんだかいたちごっこ的な印象が拭えず、しっくり来ない感は否めません。

と、言いつつも結局はお客様に補助金やエコポイントの分で住宅の性能を上げて快適な住宅で暮らして頂ける様に積極的に利用するのですが、、

とにかく、空前の低金利も続いておりますし、(私の個人的な意見や見解はさておいて、)補助金もじゃぶじゃぶの27年度は住宅取得、リフォーム工事のメリットが大きい年になることが決定しました。

新築、リフォームをお考えの方はいつでも詳しい説明を致しますので、お気軽にお声掛け下さいね。

国策として決定した以上、私たちもしっかりとサポートをさせて頂きますので。(笑)

あなたのスタイリスト♬

1月14日曇り

今日もバタバタと時間に追われた1日となりました。

昼から見積もりのご依頼をいただいていいる店舗のデザイナーさんとの打ち合わせとクリナップ社の毎年新春恒例の勉強会がダブルブッキング。

現場担当のイッペー君を打ち合せに引っ張り出したりとあれこれと対応しながら、あっちこっちと慌ただしく走りまわりました。

クリナップ社は唯一残った独立系キッチン専業メーカーという立ち位置で地域に密着したこつこつとした活動を積み重ねる営業手法を提唱されており、『サロネーゼ』という食を始めとする多岐にわたる生活の質を向上させる講師陣の組織を活用して気持ちの良い暮らしの提案をしながら顧客からのニーズを汲み取ってキッチンなどの販売を進めようと取り組まれております。

こちら、

http://dreamiaclub.jp/ds/

ローカルビジネスに取り組む私たちにとって大きく共感するところがあり共に活動をさせていただいています。

毎年新年に行われるこの勉強会では東京からはY課長がお越しになり、全国の事例の紹介や最新の業界の情報などを独特のテンポと語り口で話してくださいます。

非常に勉強になり毎年楽しみにしています。

今回はリフォーム業界にとどまらず他業種での参考事例もご紹介いただきました。

Y課長
Y課長

それは紳士服の青●に行くと最近は女性の担当者がつくようになったと言う話。

おっさんが自宅近くの青●に服を買いに行くと「私が担当です」と言う若い女性が付きっきりでコーディネートしてくれるらしく、その後も季節ごとに担当者から葉書が届き来店を誘われるとのこと。

Y課長はその担当者の言葉に乗ってついつい季節ごとに(少しだけ若者ぶった)前のボタンが閉まらないような細身のスーツを買ってしまうそうです。(笑)

少し前から上戸彩がコマーシャルで ♪あなたのスタイリスト青●♪ というフレーズを歌うのをテレビで流しているのを聞いて、なんとなく気になっていたのがこの話を聞いてようやく納得できました。

ローカルビジネスは人と人とのつながりを重要視する。まさにセオリー通りの戦略というか活動と言えるのではないでしょうか。

しかも、全国チェーン展開する大手も、各地方で密着したローカル戦略を取り入れる時代になったという事は、私たちの様な中小零細の企業はもっと提供する価値を上げて、地域密着を加速させる事に取り組む必要があるのかもしれない、と若干の危機感を募らせました。

グローバリゼーションからローカリゼーション。

『景気』とは結局内需産業の業績の善し悪し、内需とは即ちローカルビジネスの積み重ねです。

企業の規模の大小に拘らず、今までの販売手法を見直す大きな転換期を迎えているのかも知れません。

あと、最後にビックリしたというか、オチはY課長の紳士服の青●と上戸彩さんのコマーシャルの青●は違う会社だったってこと。(笑)

どこも考える事が同じなのか、自分自身で検証にいってみたいと思います。

10年の感謝。

1月13日 曇り

仕事始めから1週間が過ぎ、あっと言うまにえべっさんも終わり、一月も中旬が近づいてきました。

一月は行く、と言いますが、この慌ただしく過ぎ去るペースで今年も一年があっという間に過ぎるのでしょうね、

今日は市役所や消防署に店舗計画の事前協議に行ったり、営業されているお店にメンテナンスに行ったり、新規店舗の打ち合せに行ったりと、店舗工事屋さんな一日を過ごしました。

夕暮れの南京町
夕暮れの南京町

神戸では20年前の震災で古いビルが軒並み崩れましたが、それでも無事に残ったものも多くあります。

せっかく残ったビルを活用しようと店舗の計画をする事も珍しくないですが、何しろ建築の法律は事あるごとに大きく変わり、基準が厳しくなっています。

現行法に則ってキッチリとした工事をするのが難しいものや、そもそも、確認のしようが無い建物も多く、役所の担当者共々、頭を悩ませる事も少なくありません。

ただ、結果がどうあれ、状況の把握とその報告をクライアントにする事は、建築会社としての義務だと思っています。

良い報告にならない事も少なくありませんが、現実にしっかり目を向けて可能性を探っていく姿勢が大事という事なのだと思っています。

TOTOリモデルクラブ西神店会定例会議
TOTOリモデルクラブ西神店会定例会議

夕方からは今年になって初めてのTOTOリモデルクラブの定例会に出席しました。

西神ショールームが出来た時に発足した『西神店会』という近隣の同業者さんとのグループでの毎年恒例の合同イベントの打ち合せ。

なんと、今年は10周年を迎えるとのこと。

せっかくの記念の年なので、今回のイベントは感謝の気持をカタチに表し、これまで支えて来てくださったお客様にその感謝を伝える事をしよう、という事になりました。

実は、業界内では、営業エリアが重なる同業者と合同で催しをするのは賛否両論あります。

内容や見方によっては独占禁止法に抵触する事もあるのではないか、という指摘も今まであったりもしましたが、そんな紆余曲折もありながらも10年という長きに渡り活動を続けて来れた事をとても嬉しく思います。

このような活動を続けて来れたのはモチロン、お客様に支持を頂いたお陰です。

そして、それを支えて来たのは、

『私たちが目指すのは、同業他社に競い勝つことではなく、切磋琢磨して自らの価値を高め、真の顧客満足を勝ち取って地域に信頼の輪を広げる事。』

という理念だとも思っています。

そんな想いを共有出来た仲間と、そんな場を提供してくれたTOTO社、また一緒にサポートをし続けてくれたYKKAP社、DAIKEN社、そして大阪ガス社に改めて感謝の想いを強くしました。

皆々様、10年の長きに渡り、ありがとうございました。

今後とも、というか、今回の10周年を記念するイベントも力を合わせて盛り上げていきましょう!

宜しくお願い致します!

にわ・とりのすけ伊川谷本店にて新年会
にわ・とりのすけ伊川谷本店にて新年会

刃を研ぐ意味。

2月12日月曜日晴れ

三連休の最終日でした。

年始の営業が始まって初めの週末は毎年恒例の餅つき大会を開催しており、昨日もイベント会場に詰めていたので今日は午前中お休みをいただいて週に1度のいつものランニングをしてきました。

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陽がサンサンと降り注ぐいいお天気ではありましたが、そこは1月、気温は低く走り出すのは正直ちょっと億劫です。

走り出してしまうとすぐに体は温まり寒さはあまり関係なくなるのですが走りだすまではなかなか決意が固まらず少しゆっくりめのスタートとなってしまいました。

それでも10キロ強のそんなに長くない距離ですが走り終えた後は気分爽快、いい汗をかくことができました。

 
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1週間に一度の刃を研ぐ習慣として始めたランニング(当初ウオーキングでした、笑)facebookに残してあるランニングの記録を振り返ってみると、どうやら2011年の夏から始めている様で、気付けばかれこれ三年半も続けているようです。

毎週、10km〜15kmと大した距離ではありませんが、この三年半で走ったり、歩いたりした距離は単純計算すると、1824kmくらいになるようでして、、

そう考えるとフルマラソンの完走くらい出来てもおかしくないのかも知れません。

我ながら、相変わらず地道にコツコツやってます。(笑)

 

ランニングの時間は、音楽を聴いたりする事無く、ひたすら景色を見ながら走るだけなのですが、情報が入って来ない分、頭の中ではいろんな事に想いを巡らします。

今日は新年まもなしという事もあってか、継続して来た『刃を研ぐ』習慣についてぼんやりと考えながら走りました。

 
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健康は何者にも代え難い宝と言うのは人間誰しも思う事ですが、ただ単に健康の為に寒い朝も暑い夏の日も走っているのかというと、それだけでも無い様な気もします。

スティーブン・R・コヴィー博士は著書の『7つの習慣』の中で再新再生の為に刃を研ぐ習慣を持つ事を最後に提唱されました。

リフレッシュする時間を持つ事で、日々培っている習慣をブラッシュアップする事が出来ると書かれておりました。

文字通りに受け取れば、『刃を研ぐ』とは切れ味を良くする事。

切れ味を良くする事で得られるものは時間と美しい切り口です。

 

現代社会では時間=お金と言っても過言ではありません。切れ味を良くする事はそのままビジネスの成功に直結する可能性を秘めているようにも思います。

一見、ランニングなどの運動をする事によって、ビジネスで得られる効果と直接の関係がありそうにないですが、習慣を持つ目的を良く見定めて継続する事によって、コヴィー博士が言われた通り、全てを再新、再生させる原動力になるような気がします。

モチロン、刃を研ぐ習慣と言うのは身体を動かす事ばかりではありません。

体力、知力、知識、哲学、在り方、等々様々な自分を高める事にどのくらいのバランスで取り組むのかが重要なのだと思います。

自分がなんの刃を持っていて、研いで何の切れ味を良くするのか?

考えながら、いくつかの刃を研ぐ習慣、続けていきたいと思います。

無病息災のジンクス。

1月10日 晴れのち曇り

十日恵比寿の朝の空
十日恵比寿の朝の空

10日恵比寿の日。

今朝、と言うよりも昨夜から(一回り年下の)年男のスタッフヨーヘーに誘われて、西宮恵比寿の今年の福男を決める開門ダッシュに参加しかけましたが、諸事情あり、断念しました。

先ほど、yahoo!ニュースを覗いてみるとこんな記事が。

今年の福男は大学生が独占 5千人疾走の西宮神社

抽選で走れるのは108人のはずですが、結局抽選に外れた人も開門を待って走ってるんですね。

そして、230mの短距離とはいえ、やっぱり現役の若者が抜けるのはアタリマエ。

若者ぶって行かなくて良かった。(笑)

 

そんなことよりも、今日は毎年恒例のイベント、大餅つき大会でした。

法人設立時から毎年欠かさず続けて来たのは、昔は年末になると隣保の人が集まってあちこちで見かけていた餅つきですが、最近はサッパリ見かけなくなったのが寂しくて、スタッフとその家族、特に子供達に餅つきを体験して欲しかったからです。

一度やり出すとしつこいのが身上なので、年末を年始に変えたりと変遷もありましたが、何とか毎年続けてきました。

最近は毎年来てくれる子供達の成長を見れるのが嬉しくて続けているのが実際のところです。

お餅つき
お餅つき

今年もちびっ子が活躍してくれました。(^^)

 

親子でお餅つき
親子でお餅つき

親子で一緒に杵をふったり、

 

親子でお餅つき
親子でお餅つき

毎年、楽しみにしてくれるお客様にお越し頂いたり、

 

親子でお餅つき
親子でお餅つき

いつもはすみれ単独で開催しているのですが、今年は近所の仲良し同業の皆さんと5社合同開催ということで、初めてなんです〜、というお客様にもたくさんお越し頂けました。

賑やかなのは良い事ですね。(^^)

お餅つき
お餅つき
年末年始に餅つきをするというのはよく無病息災を祈念して、というふうに言われます。
私も子供たちに、「新年にお餅をついて食べたら1年間病気せえへんねんで、」とよく言います。
そういえば、と、ふと思ったのは、この15年我が家では大きな病気もなく息災に過ごさせてもらっているな、とゆうか、スタッフとその家族をはじめ、毎年のように来てくれるお客様や、子供たちも大きな病気を患ったような話はとんと聞きません。
ひょっとしたら、毎年のこのお餅つき結構効果があるのかも、なんて思ったり、(笑)

とにかく、皆様の今年一年の無病息災、心からお祈り申し上げます。

ご参加頂いた皆様、写真はfacebokkページにたくさんアップしておりますので、覗いてみてくださいね〜!

こちら、

有限会社すみれ建築工房

大餅つき大会2015

良かったら、すみれのfacebookベージにいいね!もお願いします。(笑)

元町(三丁目)牡丹園に見る超地域ブランディング戦略。

1月9日曇りのち晴れ時々雨

 

中華街東門
中華街東門

今日は西宮えびすの今年の福男を決める開門ダッシュに参加できる資格抽選の申し込み日でした。

年男のよーへーに誘われて、私も年男だけに走っとかなあかんかな、と思い申し込みに行こうと思っておりましたが、仕事が立て込んでしまいあえなく断念。

福男は若手に任せておこうと思います。(笑)

今朝はいつもより少し早めに出社してバタバタと事務仕事をこなした後は、事務所や店舗の改装の打ち合わせのハシゴに神戸の中心地、元町へ。

合計3時間を超える打ち合わせをがっつりこなした後、たまたま通りがかった中華料理屋さんで遅めのランチをとりました。

元町(三丁目)牡丹園
元町(三丁目)牡丹園

元町三丁目の商店街の裏筋、少し中心部から離れ人通りの少ない場所にひょこっとあったその店は神戸では有名な老舗の中華料理店と同じ『牡丹園』という名前の小さなお店でした。

若い頃、勤め先の先輩が、「牡丹園別館のひき肉のレタス包とチャーハンが絶品やねん。」

と言って連れて行ってくれたコトがあり、少し高めのお店でしたが、私も若い頃、足繁く通っていた時期がありました。

今日、」ふら~っと入ったお店は、当時通っていたその立派な有名店とはずいぶんと違う雰囲気で、お店は中心地から少し外れた人通りも少ない路地に店を構えており、同じ名前の『本店』『別館』に比べるとずいぶんこじんまりした佇まい。

「でも、同じ名前やし、、てか、こんなところにもあったんや、」と少し不思議に思いながらはいってみました。

店に入って昔を懐かしみながら、チャーハンと五目汁そばを注文して食べてみるとやっぱり絶品。

牡丹園の炒飯
牡丹園の炒飯

 

しかも、何故か思っていたより価格がリーズナブル(笑)

「確か、もう少し高めのお店やったけどなぁ、」

なんて思いつつ、懐かしい味を噛みしめながら、老舗の凄さみたいなものを感じました。

帰りにお勘定を支払う際にやっぱり気になってたので大将に聞いてみました。

私)同じ屋号がかかっている他の店とは系列店ですよね?

大将)いえ全く別なんです。

私)えっホントですか?

大将)はい、でも、もともとは同じ店なんです。元の本店は私のお父さんだったのですが、亡くなった後、兄弟がそれぞれ独立した形になって、所謂、暖簾分けで兄弟それぞれがお店を始めたんです。

との事でした。

「だから、料理も値段もそれぞれ違うんですよ、」と。

ちなみに、この3丁目に1軒だけ離れて営業されているひっそりとした感じの牡丹園はその中でも1番コストパフォーマンスに優れているらしく、しかも老舗の味をしっかりと守ってられるということで超オススメです。

お店は小さいですが、味は(たぶん)何を注文しても本店、別館に負けないと思います。

しかも安い!(笑)

 

牡丹園の絶品五目汁そば
牡丹園の絶品五目汁そば

帰り道、ふと思ったのは『ブランディング』ってこういうことか、という気づきです。

長い歴史を持つ名店の名前を掲げるだけで通りがかりの(私のような) 人がふらりと入ってきてその店の価値に気付き、(私の様に)口コミを広げる。

しかし、このお店もお父さんの味を守っていたところで、店名を変えていれば今日の私は間違いなくその店を訪れる事はなかったはずです。

かといって、同じ店名を掲げたところで内容が伴っていなければ二度と行くことはないし、逆にネガティブな印象を持たれてしまうわけで…。

長年培ってきた看板に対する信用と信頼。そしてその看板に寄せた期待に応える実力が備わっていることがブランドを持続しビジネスを継続させる。

代が替わっても、そのクオリティーを維持する事の大変さと重要さ、それが出来てこその『ブランド』なのだということを身を以て体験させて頂きました。

私たちも見習って、いつか牡丹園さんのような地域ブランドになれる様にこつこつと顧客の信頼を積み重ねていきたいものです。

道程はとても長く、険しそうですが。。。

頑張って生きたいと思います。