「四方良し」と自由 #自由を我らに!

令和2年12月3日晴れ

目的と役割と責任。

神戸では雲1つない気持ちの良い青空が毎朝続き、お天道様のおかげで日中も暖かい日がこのところの毎日。12月と言うともっと寒いイメージですが、気温は15度近くまで上がり、雪が降るような気配は微塵もなく、3月になれば春が来ると考えるとずいぶんと冬の期間は短くなったものだと思います。気候変動の大きな変化は気づかないうちにじわじわと忍び寄っているようです。そんな師走の月初、私といえば毎年恒例の年末の個人面談マラソン絶賛開催中でして、スタッフ一人ひとりに向き合って、我々が目指す世界、皆がいいねーと言って暮らせる、四方良しの実現に向けて、目的の確認と、そこに向かって役割と責任をしっかりと全うしてほしいと丁寧に説明を繰り返しています。大事なのはやり方より在り方です。

良しとは「自由」

私達、株式会社四方継は「四方良しの世界の実現」を理念に掲げており、その為に必要だと思う事を事業として取り組んでいます。「良し」とは状態を表す言葉の一つで、楽しい、嬉しい、健康、快適、ストレスフリー、未来への希望に溢れる等々、心身、物心共に豊かな状態の総称だと認識しています。そして、(私個人的には)その根本にあるのは自由への憧れだと思っていて、束縛、強制されない、自分自身の意思に従って生きる、人間の尊厳を守れる事が大前提にあるのではないかと思います。私が大工になったのは、手に職をつけて、個人的なブランドというのは大げさですが、付加価値を持つ事で働きたい時に働いて、遊びたい時に遊べる様になれると思ったからで、人に縛られない、自由な生き方が出来るのではないか、と思ったからです。

freedom」と「liberty

人間的欲望の本質は自由である」そう言ったのは、19世紀ドイツの哲学者G.W.F.ヘーゲル。そんな視点を持ちながらWikipediaで「自由」を引いてみると、「英語の「Freedom フリーダム」と「Liberty リバティ」は、ともに自由と訳される。(中略)両者の共通点は、現在的意味合いの自由とは異なる意味で用いられた点である。英語「freedom」と「liberty」の用法にも残っているが、近世までは特権を意味する語であった。民衆の持ちえない権利を有している状態が「freedom」または「liberty」であった。」とあり、決して、何もしなくても誰にでも簡単に手に入るものではなく、積極的に手に入れる努力が必要だった事に気付かされます。近世になって、日本国憲法で国民の権利としての自由が定められ守られており、あたかも誰もが自由を手にして当然のような風潮がありますが、実際はそんな事はなく、私は自由です。と声高らかに言える人が一体どれだけいるでしょうか?

そこにある自由。

自由=人間の尊厳であり、守られるべきもの、守るべきものです。日本国憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と規定しています。ちなみに、日本国憲法には以下のような3つの自由権が謳われています。精神的自由(思想・良心、信教、学問、集会、結社、表現)経済的自由(居住移転、職業選択、外国移住・国籍離脱身)人身の自由(奴隷的拘束・苦役、令状なき不当な勾留など、正当な法的手続を踏まない不当な拘束からの自由、勾留拘束に当たっての法定手続の保障)で、これらの自由はどちらかというとアクティブに掴み取りに行くというよりも、パッシブな受け取る自由であり、干渉されない自由と言っても良いかも知れません。言わばある意味自由なんだけど、それを良い事、近代国家になる前の人たちが思い焦がれ、命をかけて欲した素晴らしい事として感じる訳ではなく、安穏としたそこにあった当たり前として享受しているように思えてなりません。

四方良しと自由。

話を戻して、、私は四方良しの状態とは皆が皆、自由を手にしている実感を感じる世界にしたいと思います。ここで言う自由は英語で言うところの「freedom」と「liberty」の複合であり、単なる自由と言うよりも、あらゆる事に対して自分の信じる価値観で選択の自由を行使できる、勝手、気ままに気持ちよく生きられるようになればいいなと思っています。もちろん、私も含めてです。ただ、「自由はまた他者の自由とも衝突する。他者の自由を尊重せず勝手な振る舞いをしてはならない」というJ.S.ミルによる『自由論』、そして、日本国憲法に「自由権の濫用はしてはならない(憲法12条)」と定められている通り、自分だけが良ければいい、などと言う幼稚な考えに陥る事なく、他者を慮り、他者貢献を自分の喜びであり、権利だと主張して行動できるくらいのアクティブな自由の世界を作りたいと思っています。それは結局、若かりし頃に私が感じ、目指した「卓越した技術を持った大工」の様なパーソナルブランドをそれぞれが身につける事、個としての人間を認め、認められる様になる事ではないかと思うのです。自由を我らに!(笑)


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今こそ、感性は力。#パラダイムシフトの時代

令和2年12月2日快晴

超夜型人間の朝活

水曜日は朝活の日、今日も夜明け前から起き出してみっちり2時間BNIビジネスミーティングに参加しました。この時期の早朝6時半と言うと外はまだ真っ暗で、かすかに朝日が昇ってくる東の方向が赤く染まり始める位の時間、夏の早朝も気持ちが良くて好きですが、冬の凛とした空気感が漂う夜明け前の時間も(3年も朝活を続けていると)すっかり好きになりました。私はそもそも超夜型人間で、朝起きるのが苦痛だと思っていた一昔前から比べると、今ではすっかり朝起きに対してポジティブな印象を持っており、まるで天地がゆっくり返った位の大きな違いです。人は環境に合わせる生き物だと言いますが、まさにそうだと体感しています。

53歳のパラダイムシフト

天地がひっくり返る位の意識の転換のことをパラダイムシフトと言います。スティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」にある女性の様に見える絵が実は老婆を描いた絵であるというのは有名で、見方や解釈で世界は全く違う事実になると言われます。実は最近(また)私にそのパラダイムシフトが起きました。それは芳村思風先生の感性論哲学に書かれてある「考えるな、感じろ」と言う言葉の意味がようやく腹の底から理解できたことで、「人間は考える葦である」とのプラトンの有名な言葉にあるように、私は考えるからこそ人間だと思い込んでいた節があり、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」と言う有名な成功哲学を信じ込んで来ました。ただ、ぼんやり考えているだけで何でも思い通りになるとは思っておらず、思考→行動→習慣のプロセスを踏めば、大抵のことは達成するのが原理原則だと思っていたし、長年その実践に努めて来ました。

男子に二言無し。

しかし、自分自身の事はさておき、経営者となって、事業所を率いるリーダーともなれば、自分が行動するだけで良いわけは無く、スタッフに事業計画を伝えて動いてもらわなければなりません、また、一般社団法人職人起業塾で行っている研修事業は企業から職人等の現場実務者の従業員を預かって、原理原則論を中心に理論を教え込みますが、これも実際の業務に反映されなければ全く意味も価値もありません。自分だけではなく、他者を動かすのに私がとってきた手法は理論構築であり、ロジカルに理詰めで追い込んで行き、最後には「やります。」と言わざるを得ない状況を作る事です。それは、自分が子供の頃から、「男子に二言無し」とか「吐いた唾は飲まない」と言った昭和真っ只中の価値観にどっぷりとハマり、それが前提条件として成り立っているものだとばかり思い込んでいたからに他なりません。

言葉と裏腹は珍しくない。

しかし、実際は、やる。と言ったからやる訳ではないし、分かりました。と言ったから心底納得した訳でもない、結局、やるはずの事をやらない、進むはずの事が進まないなんて事が数多く起こります。私は、どんなに納得してなくても、最終的にやると言ったらスッパリ諦めてやるし、口と裏腹の行動を取るなんて子供の所業だと長年思っておりましたが、どうやら世の中はそんなに単純には出来ていなかった様で、このおかしな現象はやらない者の個人的な問題ではないか、と片付けてしまおうとしていました。しかし、その傾向は年々加速している様に感じて密かに悩んでおりました。

「考える人」は石の様に動かない。

芳村思風先生が提唱し、行徳先生が世に広めたと言われる感性論哲学は思考ではなく感性こそが人間が重きを置く重要なことで、考えるのではなく、感じろ。との言葉はその概念を如実に、端的に言い表しています。行動を決定するのは脳の新皮質と言われる思考回路ではなく、脳幹周りの感情を司る部分だと言われていますが、確かに人は考え込むと動かなくなり、感動すると即行動に移します。これが真実だとすれば、私が得意として来た理詰め、理論武装、論破、ロジックで人を追い込んで行くやり方は、行動を促すどころか、逆に凍りつかせて人の動きを止めてしまう所業です。ひょっとしたらこちらが本当じゃないのかと今頃になって気づいたのです。

 

関ジャニ∞の村上くん

先日、実践人の会の勉強会に参加した際、パネラーとして登壇された行徳先生の口から「関ジャニ∞の村上くんを知っているか?」との意外な言葉がこぼれました。なんのことかと思いきや、なんでも村上君が感銘を受けた本と言うことで芳村思風先生と行徳先生が対談した「今こそ感性の時代」という書籍を紹介したらしく、10年ほど前に出版された書籍であるにもかかわらず、今になって増刷を重ねる爆発的な売れ行きを見せているとの事でした。偶然にも感性論哲学にもう一度学び直すべきではないかと思っていたタイミングでもあり、事業所のミニ図書館、つむぎ文庫の書棚にあったその本を改めて読んで見ました。私は感性論哲学を全く知らなかった訳でもなく、芳村思風先生や行徳先生の本も何冊か読んでいるはずなのに、その本に書いてあること全てがずっしりと腹に響き、今までの自分の思考が真逆だったと気づかされたのでした。

https://online.chichi.co.jp/category/BOOK/902.html

今こそ感性の時代

この本には、なぜ論理思考がダメで感性を磨く必要があるのか、その事でどのような効果があるのかがわかりやすく書かれており、なぜ野生の動物には無く、人間だけが特性として持つと言われてきた理性が意味を為さないか、その理由を延々と書き連ねています。その中で行徳先生の十八番と言われる野鴨の話ももちろん語られており、これからの混迷の時代を乗り切るには理性ではなく、野性(感性)が必要であり、人は考えるのではなく感じろ。と繰り返し書かれています。そこに書かれている引用やエピソードは、なるほど!と共感させられることばかりで、読み進めれば進めるほど、その度合いは深まって、これまでの自分の価値観が音を立てて崩れ去るのを感じました。まさにパラダイムシフトです。今日から、年末に向けてスタッフとの個人面談をスタートしたのですが、その面談の中でも、これまで理詰めで行動を促してきたことの謝罪と、我々が目指す四方良しの世界の実現に共感(感じて)してもらえるか?と丁寧に話し合いました。パラダイムシフトが新たなステージへの鍵になる事を大いに期待しつつ、感じてもらえるコミュニケーションを心掛けたいと思います。


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